【ミュシャ】を褒める

<優美でしなやかな女性像を描いたアールヌーヴォーの代名詞的存在>

ミュシャの絵を好きな方は多いでしょうね。もちろん私も大好きです。もともとポスターに使われている図柄が多く、グッズにしやすいことで展覧会に行くと、ついつい手元においておきたくなることもありますよね。本読みの私としてはミュシャのしおりをこれまで一体どれくらい手に入れたことでしょう。それほどまで身近にあるミュシャの絵。それだけでなく優美でしなやかな女性をモデルにして描いた作品は私達をほっとさせてくれるんですよね。こんなに美しい女性を描けるミュシャ。ここのところ美しい女性を描く画家さんが、その女性遍歴に少し難があるようなことを記事にもしていたので、不安を覚えている方もおられるかもしれませんね。安心してください。ミュシャの女性遍歴はとても綺麗です。意外に思われるかもしれませんが、ミュシャは女性嫌い(苦手?)で、結婚したのは46歳のとき。しかも結婚までに出てくる女性も一人しか明らかになっておらず、その女性と別れた理由もスラヴ民族主義に目覚めたミュシャが故郷に帰ることになったからだったと推測されます。これはミュシャの息子さんが話されていたりするようですね。

ミュシャが世に出ることになったのは、大女優サラ・ベルナールの講演ポスターを手掛けて、サラがとても気に入りミュシャと6年の契約を結んだことにあります。これは有名な話ですね。けれどもここに不思議な縁があり、もともとはクリスマスの時期でどのデザイナーも忙しくしており対応が難しかった中、手の空いていたまだ無名のミュシャしか取り掛かれなかったんですよね。でもこんな運も実力のうち、チャンスを掴んだミュシャは一躍人気デザイナーとしてポスター界の寵児となります。ミュシャが手掛けたサラはとても若々しいイメージがありますが、この時点でサラ・ベルナールは50歳を越えており、絵をよく見るとそのあたりも上手く映し出していることがわかります。全く別物にしたのでは「自分ではない」となったかもしれませんが、ミュシャの絵は「明らかに私である、そして魅力的だ」と思えたのではないでしょうか。

これ以降、数々のポスターを手掛け、さらには『四季シリーズ』や『花四部作』が大ヒット。パリに巻き起こっていたアールヌーヴォー(新しい芸術の波)を牽引する存在としてミュシャの快進撃は続きます。ミュシャの作品には女性のみならず、美しい花や美しい草木、さらには多くの装飾が施され、ロココの雰囲気を残した優雅で華麗な世界観をうまく宣伝広告に落とし込んでいることがわかります。ミュシャ様式とも呼ばれた彼は、挿絵や装飾パネルなど多方面で活躍することになりました。彼の褒めポイントの一つに彼の柔軟な取り組み姿勢があります。この時代に隆盛してきたカメラについて、彼は積極的に取り入れています。というより、晩年まで彼はカメラを手放さなかったと言われます。一見すると全く写実的に見えないミュシャの作品ですが、実は見事に写真からトレースされていたりします。(いくつかそんな画像もネットには落ちていると思うのでぜひ、探してみて) モデルに長時間ポーズを取らせることを不可能であることからも写真を重宝したようですね。当時は当然相容れないものとして、写真と絵画には溝があったはずなのですが、ミュシャにそんな頑固さとは無縁だったことが作品の質を高めたようにも思えます。

この柔軟性とミュシャ自身の内面の変化が、後に作品にも人生にも二面性を与えることになります。ミュシャはさらに一段階上を歩んでいくことになります。スメタナの『我が祖国』を聞いて感銘を受けたミュシャは残りの人生を祖国のために捧げようと強く決意します。大成功をおさめたパリを離れ、大人気を博したアールヌーヴォーの画風から離れ、オーストリアの支配に苦しむチェコのために活動することとなるのです。前述の女性との別れについても、このあたりが絡んでいるようですね。こうして故郷に戻ったミュシャでしたが、祖国で決して受け入れられたわけではなかったようです。ここに私の褒めポイントがあります。ミュシャは祖国で『スラヴ叙事詩』という大きなプロジェクトに取り組んでいくことになるのですが、この作品はすべて内面を映し出す精神世界を描く象徴主義によって描かれていくのです。時代はキュビズムやフォービズムの波が押し寄せる中、アールヌーヴォーから象徴主義と時代を逆行するようなミュシャの試み。故郷であっても容易に受け入れられるものではなかったのでしょうね。

2017年東京は国立新美術館でこのスラヴ叙事詩の展覧会がありました。もちろん見に行きましたが、圧倒されました。そして象徴主義で描いたミュシャに最大級の賛辞を贈りたいと思いました。カメラを使ってトレースをしてまで忠実に描き続けたミュシャが、何故精神世界を描かなければならなかったか、そしてそれがどれほどインパクトあるものだったのか。巨大なキャンパスを見上げて私なりに共感し、涙が出てきました。『スラヴ賛歌』には多くのシンボリックな表現が見て取れました。もちろん解説読んでわかったんだけどね(^_^;)

両手を広げた青年=独立の象徴 背後のキリスト=栄光と未来 右下の青白い人々=農業を営む祖国の平和

左上の赤い人々=戦禍に浮かび上がる過去の敵 右側の星条旗=支援者

スラヴ叙事詩にはあり得ない表現、例えば神々の存在や守護霊のような存在などが数多く描かれていました。写真を手放さず商業用のポスター制作にいそしむなど、現実にこれ以上ないくらいに近くにいたミュシャが、民族主義のためにすべてを捧げるがごとく愛した女性やかつての栄光を捨て去り、時代に逆行し現実とは正反対の見えない内面の精神世界を描いたというのは並々ならぬ思いがあったのだということがわかります。二面性というと否定的な印象がありますが、ミュシャの二面性は称えられて然るべきものだったのです。

おすすめ10選

『黄道12宮』

『スラヴ賛歌』

『故郷のスラヴ人』

『四つの花ー百合』

『四季ー春』

『モナコモンテカルロ』

『大ボヘミアにおけるスラヴ的典礼の導入』

『セルビア皇帝ドゥシャンの東ローマ帝国皇帝即位』

『ジスモンダ』

『夢想』