【7月】の褒め活
7月1日
人間の心のアンテナはとても敏感で繊細です。だから相手の敵意をすぐにキャッチして敬遠します。仲良くなるため、このアンテナにひっかからないようにするためにはどうすればよいのでしょうか。実は褒めるだけで良いはずです。褒めようとすると敵意など無くなりますから。
7月2日
人に好かれるために私達はあれこれ考えます。けれども人それぞれなのでセオリーのようなものはありません。ただ、確率論として、才知をめぐらしてあれこれ考えるより、相手の長所を褒めていけばかなり高い確率で好かれるのではないでしょうか。
7月3日
財産とはどんなものでしょうか。お金や資産、名誉に地位、これらはまぎれもなく財産と言えるでしょう。ただ言葉だって財産です。手紙やラブレター、名言や座右の銘。さらには贈り贈られた褒め言葉だって財産と言えると思います。
7月4日
心の健康が叫ばれて久しいですが、心が病んだ時には正論が通じないことを認識しましょう。そもそも自分の間違いに心が病む時もあるものです。「そんな間違っているあなた(私)でもよく頑張っているよ」と褒めるのが処方箋です。間違いは正すべき、というのは正論ですが、それは通じません。
7月5日
特別な事をしていないと褒められる権利はないのでしょうか。そんな事はありません。誰でもどんな事にでも褒められる権利があると思います。もちろん人に迷惑をかけたり傷つけたりする事は良くない事ですが、それ以外は大概褒めポイントがあるように思います。
7月6日
現実において自分のできていない部分を責めないで下さい。その気持ちは「理想的でありたい」という清く美しい心が発露なのですから。そんな理想を求める自分を褒めてあげましょう。そしていつか理想の自分になれるように互いを応援しあいましょう。
7月7日
人の強さ弱さは何で決まるのでしょうね。色々な見方があると思いますが、私は弱さを受け入れる強さもあると感じています。残念ながらそのような強さを評価する仕組みはこの世にあまりなく、寂しい思いをしている人も多くいます。だから褒めることで評価してあげたいのです。
7月8日
心から誠実に褒める事はもちろん大切です。けれどもそこまで高尚でなくても褒めていいと思います。挨拶でも仮にそこまでのものでなくても効果はありますよね。重く考えすぎて褒めないのももったいない。気軽に褒めるだけでも、お互い気持ちの良いものです。
7月9日
人は生きているだけで責任を求められます。社会的価値、社会的貢献、このような責任にがんじがらめになってしまうのは決して悪い事ではありません。けれどもその事ゆえに生きがいを見失ってしまわないで下さい。責任感ある自分を褒めて自信を持って歩んで下さい。
7月10日
今週誰かを信じられましたか、褒めてあげましょう。平和を願えましたか、褒めてあげましょう。幸福を望みましたか、褒めてあげましょう。素直でいましたか、褒めてあげましょう。親切でしたか、褒めてあげましょう。何もできませんでしたか、それでも褒めてあげましょう。
7月11日
欠点が多い事は良い事です。それだけ改善したら褒めてもらえるチャンスが多いという事です。今日、明日すぐに欠点が直らなくても構いません。依然褒められるチャンスが残っているだけです。もし改善できたなら周りはここぞとばかり、あなたを褒めてくれるでしょう。
7月12日
夢がないのはあなたのせいではありません。生き甲斐を失うのもあなたのせいではありません。それは否定ばかりの社会のせいでもあるのです。けれども社会批判をしたいわけではありません。この社会に褒め合う文化が根付いていないのです。だからこれからそんな社会を作っていきましょう。
7月13日
礼儀作法はとても大切な事ですが、礼を尽くしていても失礼な事はあります。褒める行為も同じで、褒め言葉を投げかけているだけではあまり喜ばれなかったりします。できるだけ相手の事を知り、具体的な事に目を向け、心を寄せることで相手にも伝わる褒め言葉が出せると思います。
7月14日
褒められているうちに自分の長所に気づく事があります。また褒めようとする時に相手の長所を見つけようとします。褒めるというのは人間観察をする癖がつきますし、人間心理にも詳しくなれます。つまり、褒めていても褒められていても人間力が向上するという特性を持っているのです。
7月15日
一般論を唱える時は多数の考えを知り、世間の常識などを踏まえる必要に迫られる事はありますが、褒め言葉を唱える時はその手順は必ずしも必要とはされません。自身の尺度で、自身の考えで素直な思いを褒め言葉にすればよいだけです。その褒め方でもし指摘を受けるなら、謝ればよいのです。
7月16日
「叱る」というのは教育手法としては間違いなく必要な手段の一つで、若手や未熟な対象者に対しては時と場合によっては大きな効果を発揮します。ただ使い方を間違えれば相手を傷つける上級者向けの教育です。それに対して「褒める」というのは上級者でなくても使える手法なのです。
7月17日
「褒めてしまうと世の中を甘く見る」という声を聞きます。本当にそうでしょうか。また仮にそうだったとして「甘く見る」ことの支障はいかほどのものでしょうか。その時はたしなめてあげればいいですし、その支障は自身が失敗して学び直しても十分取り戻せるものだと私は考えます。
7月18日
「過ぎたるは猶及ばざるが如し」何事もほどほどがちょうどよいとされます。ですから褒め過ぎもどうかとは思いますが、今の時代、私はむしろ褒めなさ過ぎだと感じています。ちょうどよさに足りていないのであれば、もう少し褒めるべきでしょう。
7月19日
古今東西、争いにはそれぞれの正論があります。つまりどちらも、正論を押し付けているだけでは争いは無くならないのです。一方で褒めたり認めたり譲ったりするときには正論は通せないかもしれません。ただ争いに発展するイメージを私は持てません。正論を通さない事が正論でもあるのです。
7月20日
褒めることの気軽な点として、特段条件を必要としないことがあげられます。誰もが自分自身の基準で自由に褒めて良いのです。クリアしないといけないハードルは別にないのです。一般的に、とか、常識的に、などと思い煩うことなく、褒めたいときに思い切り褒めて下さい。
7月21日
身近に心の病を抱えている人がいるかもしれません。心療内科に診てもらって薬やカウンセリングによって寛解を目指していることでしょう。私たちはどう関わればいいのでしょうか。その戦いに向き合っている事を静かに褒めてあげれば良いと思います。褒める事は心の手当になると思います。
7月22日
私たちは小学校から社会人に至るまで様々な事を学んできました。けれども「褒める事」について意外に学びの場は少なく、訓練されていません。何の資格もありませんが、「褒め上手」を目指すのも悪くないと思いませんか。学校教育が目指している豊かな人間関係が育まれる事でしょう。
7月23日
他の人の事は褒められても、自分自身のこととなるとからっきし褒められないこともあるでしょう。けれどもそんなものです。なぜなら自分は自身の醜い部分が見えすぎているから当然なのです。だから周りが精一杯褒めてあげるというのは結果としてバランスがとれてよいものです。
7月24日
新しい事業や何らかの挑戦に失敗はつきものです。優秀な科学者やアスリートも多くの失敗が土代にあるものです。そういう意味では褒め方にも失敗はあるかもしれません。けれども、その失敗を怖れる必要はありません、何も失いません。よりよい褒め方に向かって今日も褒めを実践しましょう。
7月25日
褒め言葉は不思議です。普通、人に教えを乞う事や評価をしてもらう事は自分より上級者や年配の方にしてもらうものです。けれども褒め言葉は時として素人さんや年下、幼い子からも受ける事があります。子供さんに可愛く「えらいね」って褒められるのも嬉しいですものね。
7月26日
褒める事に対する下心がある人もいるでしょう。「自分も褒めて欲しい」と思っている魂胆が見え見えの時もあるでしょう。いいじゃないですか、褒める事にお金はかかりません。喜んで褒め返してあげればいいと思います。きっと悪くない雰囲気になりますよ。
7月27日
私は褒めるときは褒めたおすようにしています。褒められない時や褒められない事は黙っています。褒める事に上限はなく、褒めすぎるという事はありません。相手に「もういいよ」と言われるまで褒めてあげればよいと思っています。
7月28日
相手の事を憎んでいない限り、大抵の事は褒められるのではないでしょうか。「憎んではないが嫌い」と思う程度なら、一度頑張って褒めてみて下さい。相手の長所が見えるかもしれません。すると関係が良くなったりするものです。
7月29日
人間は誰しも幸せになりたいと思っています。単純な事ですが、褒められると幸せに感じる事が多いです。この単純な事にブレーキをかけているのは一体何でしょう?その正体は私もわかりませんが、一度そのブレーキを無視してみませんか車と違い大きな事故には繋がらないと思います。
7月30日
世界的ベストセラー『七つの習慣』にはこう書かれています。「他人や環境を変える事はできない。しかし自分は変えることができる」 一度、他人や環境に文句を言う自分ではなく、褒める自分に変えてみませんか。新しい景色が見えてくるかもしれません。
7月31日
その人それぞれの能力や頑張りは、人それぞれ違うものです。けれども成果物は他人との比較相対評価がほとんどです。対個人に着目して絶対評価するなら、数値の出来によらず、たとえ最低点、最下位であっても、褒める事はたくさんあるはずです。
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