【ゴヤ】を褒める

2021年10月3日

<『裸のマハ』のスキャンダルが名高い遅咲きの苦労人>

読書垢さんの間で有名な作家さんの一人に原田マハさんがいます。私にとっては読書と美術という両方の柱を満たしてくれるという、とてもありがたい作家さんでもあり、その作品を読むたびに美術記事への創作意欲が書きたてられるのは言うまでもありません。そんな原田マハさんの名前の“マハ”と聞くと、美術好きの皆さんは絶対に浮かび上がるであろう作品『裸のマハ』、少し詳しい方なら合わせて『着衣のマハ』も思い浮かぶことでしょう。けれども「マハ」というのは固有名詞ではありません。“小粋な女性”を総称する言葉で、なんでもちょっと気まぐれな生き方を楽しんでいる魅惑的な女性たちって意味を持っているようです。原田マハさんのペンネームもここからとっているようですね。今日はその『裸のマハ』の作者であるゴヤの褒め記事となります。

ゴヤは遅咲きの画家さんで43歳にしてようやく宮廷画家としての地位を掴みます。ドラクロワやターナーとは世代が違っていましたが、活躍時期が重なるのはそのせいです。喜びも束の間、せっかく宮廷画家となりながら46歳のときに聴覚を失ってしまうという悲劇に見舞われます。しかしながらゴヤはこれを逆に作品に活かします。これは私のゴヤの最も褒めたいところであり、見習いたいところでもあるのですが、聞こえないからこそあえて「想像上の産物」を描いたり、「上流社交界への風刺」を描いたり、「戦争の悲惨さ」を描いていったのです。逆境をものともせずプラスに変えていくのは、苦労人ゴヤの真骨頂ではなかったでしょうか。

しかしながらゴヤにふりかかる災厄はとどまりません。彼はアルバ侯爵をパトロンとして活躍の場を広げていったのですが、侯爵夫人との関係を噂されるようになってしまいました(ちなみにゴヤと侯爵夫人の関係の真相は謎です)。そしてその侯爵夫人をモデルとして書き上げたのが前述の『裸のマハ』だったのです。この作品は当時大きなスキャンダルとして世を騒がせました。いつの時代もヌードについては物議を醸してきました。印象派の父・マネが『草上の昼食』でヌードを描いた時も大スキャンダルとなりましたが、マネは宮廷画家ではなく、当時はアウトローだった印象派画家でした。ゴヤは宮廷画家の立場でありながら、西洋絵画史上初めて女性の裸体を描いてしまったのです。もちろんビーナスや神話世界におけるヌードは以前から書かれていましたが、ゴヤはあろうことか実在の生身の人間の裸体を表現したのですから、もう大変。ついにはカトリック教会から異端審問にまでかけられてしまう始末。さすがのゴヤも打ちのめされ、より内向的になり、その後の作風が苦痛と苦悩をはらんだものに変わっていってしまったようです。こうして晩年は世の中に社会的不安が高まったこともあり、その不安な世情や戦争の惨禍を映し出す作品を描いていくことになります。ゴヤは「暴君に対する我らが栄光ある反乱の最も記念すべき英雄的な行動場面を絵筆によって永遠に残したい」と言って、『マドリード 1808年5月2日』『マドリード 1808年5月3日』という代表作も残しています。

さて、もう一度作品としての『裸のマハ』に着目してみましょう。この作品にはゴヤが用いた手法が色濃く発揮されています。彼は絵の具の使い方がとても上手かったのですが、それ故輪郭線を引かないことで有名でした。ゴヤ曰く「自然のどこに線が見えるのか」。輪郭線を引かないことによるメリットはぼんやりと不明瞭にすることで妖艶な描写を可能にしたこと、さらには動きや躍動感を与えられたことではないでしょうか。『裸のマハ』(個人的には『着衣のマハ』のほうがその傾向をより感じます)はまさにこの手法の完成形であり、ベッドに横たわった女性が今にも動き出しそうな雰囲気を醸し出しています。さらには何とも言えない危険な魅力さえ漂わせており、騒動に発展する遠因にもなったことを感じさせられます。丸みのある曲線美は輪郭線を引かないからこそ表現できるのであり、さらには対角線の構図はキャンバスから出てきそうなリアリティを実現しています。まさに名画と言える出来栄えですね。

 

おすすめ10選

『着衣のマハ』

『裸のマハ』

『バルコニーのマハたち』

『巨人』

『マドリード1808年5月2日』

『マドリード1808年5月3日』

『ラ・レオカーディア』

『闘牛』

『わら人形遊び』

『気狂いの囲い場』