【ドラクロワ】を褒める

2021年10月3日

《政府にも時代にも愛された色彩の魔術師》

フランスの七月革命にて蜂起したパリの民衆の中央に三色旗を持つ力強い女神を描いたドラクロワの絵はあまりに有名で、歴史の教科書にも必ずと言っていいほど、この作品が掲載されています。見ていてとても力強く、勇気が沸いてくる絵ですね。まずは、世界的名画を残してくれたことを褒め称えるべきでしょう。

ドラクロワは最初は新古典主義に学び、そこで前述の『民衆を導く自由の女神』にも見られる勇敢で力強い画法を身につけたようです。しかしながら、ドラクロワにとって新古典主義は自らの方向性とは違っており、やがてジェリコーの『メデュース号の筏』に感銘を受け、感情をそのままに作品に反映するロマン主義の中心画家として活躍していくことになります。ドラクロワの褒めポイントとして、この謙虚で柔軟な姿勢が挙げられると思います。

しかしながら現実として新古典主義のアングルとは対立し、批評家からも一旦は批判を浴びることになりました。しかしながら、政府の手厚い比護もあり、ドラクロワはやがて“サロンの虎”と呼ばれるほど、多くの依頼を受けることになります。一説には有力な政治家の血をひく者だったと言われていますがそれはわかりません。ただ間違いなく時代は彼を受け入れ、批評家たちも悩みながらも彼を否定することはできなかったようです。

ドラクロワは、新古典主義の明確な造形や線の美とは距離を置き始め、大胆な筆致と色彩の調和に可能性を求めました。そのタッチはむしろ印象派の父・マネに近いぐらいでした。また色彩は三原色を中心に使用、一方で黒をほとんど使わず、強烈な色彩のハーモニーを武器としたのです。

しかしながら、ドラクロワはその手法のみならず、テーマや感情においても着目していたのでした。いっとき“小型のルーベンス”と呼ばれたことのあるドラクロワの初期の作品は古典主義の鍛練も基礎となり、とても尊厳ある勇壮な作品が多く見られたのでした。しかしながら、ジェリコーの『メデュース号の筏』に描かれていたのは“不安”“恐怖”“憂鬱”と言った負の感情だったのです。これをドラクロワは求め出し、次第に作風は変わっていきます。

しかも小説家のユゴーや音楽家のショパンと交流する中でドラクロワの感性はさらに磨きがかかることになります。ドラクロワのテーマに対する視点は、よりマイナス方向に向かい批評家たちを悩ませました。彼自身も悩んでいたのか『小舟の上の難船者たち』とよく似た構図の『ドン・ジュアンの難船』はいささか線のくっきりした新古典主義的な作品に見えます。実際どちらも描くだけの力を彼は兼ね備えていたのだと思います。

実はドラクロワはあまりこのような美術分類に興味はなかったようです。作品にはこだわりはあったものの自分がどのような定義付けなのか興味は示さず、またロマン主義の中心的役割を担いながらも、リーダー的な立ち位置をとることもなく、自らの描きたい絵を表現し続けたのです。感情を作品に反映させるほどの激情を持ちながらも、冷静で謙虚な人間的魅力を失わなかったドラクロワ、紳士な画家としての振る舞いは時代を味方につけられたのも当然なのかもしれませんね。

彼は生前、9000点もの多くの作品を残しました。その事もあってか、晩年は孤独を好み、政府の依頼からも遠ざかり静かにその生涯をとじました。

ルーブル美術館に行くとドゥノン翼の大きめの広間に目立つように『民衆を導く自由の女神』が飾られています。そして同じフロアにジェリコーの『メデュース号の筏』もあるのは、ちょっと嬉しい配置に思えてしまいます。

 

おすすめ10選

『民衆を導く自由の女神』
『ショパンの肖像画』
『ウジェーヌ・ドラクロワの肖像』
『サルダナパロスの死』
『ミソロンギの廃墟に立つ瀕死のギリシア』
『ペルセウスとアンドロメダ』
『二人の盗賊の間のキリスト』
『レベッカの略奪』
『オリーヴの園のキリスト』
『火刑台の上のオリンドとソフロニア』