【ルソー】を褒める

2022年7月22日

《天真爛漫な無邪気さの技術なき奇才》

ルソーの絵を見るととても面白く、シニカルに見えるとともに、前衛的でメッセージ性の強いとても深い意味を持った作品だと誰しもが思うことでしょう。実際、ルソーの作品は当時の前衛芸術家に評価され、あの我の強いピカソがその才を愛したというくらいですから、その見立てはあながち間違ってはいないといいたいところなのですが…

少なくともルソー自身は、自分のことを前衛芸術家とは思っていませんし、その作品に必要以上のメッセージなどこめてはいません。それどころか、彼は自身のことを終生「写実画家」と言って憚らず、正統で伝統的なアカデミックな画法を追い求めたのです。

実は彼は絵が上手くはなかった…と言っては言い過ぎかもしれませんが、前述のアカデミックな技術はありませんでした。あたかもアメトーークでよく取り上げられている「絵心ない芸人」たちの描く拙い絵が、後にアートな仕上がりを見せるようなものとよく似ているのです。今回はそのあたりを愛でながら褒めていきたいと思います。

ルソーは幼いときから絵を描くことが好きで、芸術的な教育を受けることを心から望んでいました。が、ルソーの両親は理解を示さず、彼にそのような教育を受けさせなかったのです。結果として彼は学ぶ機会を与えられず、やむなく独学で技法を体得するしかありませんでした。そのことが一番わかるのが「遠近法」です。絵を描く上で基本中の基本となる遠近法。これをルソーは生涯マスターすることができなかったのです。これ、驚きの事実ですよ、ルソーは遠近法をついぞ修得しなかったのですから。ところが、その妙な遠近感こそが彼の作品としての価値を高めているのは言うまでもありません。あれは狙ったものではなく、偶然生まれた産物だったのです。もちろん、ルソーは大真面目ですから、彼なりに遠近法に挑み続けました。そして、到達したのが熱帯植物などを使って奥行きを出す方法です。代名詞とも言える熱帯植物の枠取りは、遠近法を持たない彼の苦肉の策だったのです。これまた、前衛的で独特の世界観をもたらした熱帯植物もまた偶然の産物だったとは驚きです。「自然の他に師はいなかった」とルソーは振り返っていますが、今考えると素晴らしい師であったとも言えましょう。

彼は最初に2点作品を発表したのですが、このときの世間の評価は散々なものでした。「6歳児の描く絵」「涙が出るほど笑い転げた」など嘲笑の対象だったのです。その後も発表する度に受ける誹謗中傷の数々、ついには展覧会からも外されそうになってしまうのでした。

しかしながら、挫けずに発表し続けたおかげで、前衛芸術家たちの目に留まり、ようやく彼の作品は日の目を浴びるのでした。彼自身もようやく、そこに自分の作品の生きる道を見出しはしたものの、最後まで彼は写実画家であろうとしたらしく、彼の生き様まで作品そのものに思えてしまいます。

彼の技術がないゆえの奇才ぶりをもう1つ。ルソーは人物の顔を描くのを苦手としていました。それでも写実画家(!?)として、正確な顔を描こうとした彼はなんと、目や鼻、口などの寸法を測りだしたのです。定規で正確無比に測って描かれた顔が、今皆さんのご覧になられているあのコミカルな絵なのです。無機質で能面のようなあの顔は、決して前衛的なものとして描かれたのではなく、彼の苦し紛れの方法だったのです。しかしながら、私は思うのです。絵心のない私だからわかるのですが、普通そこまで追及できません。下手の横好きにも限界があるってものです。ですからルソーが一生懸命大真面目に写実作品を作ろうとした純粋無垢でひた向きな彼の姿勢を、芸術の神が見離すわけがないと思うのです。ピカソが敬意を示すのも当然でしょう。意識せずともピカソが描きたかった世界を描いた画家なのですから。

原田マハさんの『楽園のカンヴァス』にてルソーの名作『夢』が出てきます。ぜひ目にして欲しいものですね!

 

おすすめ10選

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『フットボールをする人々』

 

『蛇使いの女』

 

『眠れるジプシー女』

 

『戦争』

 

『夢』

 

『岩の上の少年』

 

『不意討ち!』

 

『事実と幻想』

『猿のいる熱帯の森』