【ピカソ】を褒める

2022年7月22日

《想像を遥かに超えた美術界の比類なき大巨人》

多くの素晴らしい画家がおられる中でも、私が特別だと思う画家が3人います。ダヴィンチ、ゴッホ、そしてピカソです。中でも芸術の範疇においてはピカソの右に出るものは居ないと思っています。ダヴィンチは自然科学や医学も含めて大天才だとは思うのですが、芸術の世界においてはピカソにはかなわないのではないでしょうか。もちろん個々の作品で優劣をつけることはできませんが、少なくともその生涯において15万点もの作品を描いた画家としてはもはやピカソは間違いなく比類なき存在であり、その功績は巨人級であったことがわかります。15万点ですよ、わかりますか。ピカソが92歳で生涯を閉じるまで創作活動期間を80年と見ても、毎日休むことなく5点の作品を仕上げなければならないのです。もちろんその中にはゲルニカのような超大作だってあるのですからね。もう褒め終わってもいい、それくらい凄いことです。以前、しくじり先生の企画でオリエンタルラジオの中田さんがピカソについて説明をしていましたが、そこでルーブル美術館で展示されている数が3万5千点なので、一人で埋め尽くすことができると言ってました。(ちなみに所蔵数は48万2千点あるそうです)

さてピカソといえばキュビズムやシュールレアリスムの作品ばかりが注目されますが、私は早いうちからピカソが模写の天才であるということを知りました。美術に興味を持ったきっかけの一つでもあります。実際彼は小学生の年頃のときにあの巨匠ラファエロの絵は描けたと豪語しています。これってとてもすごい技術です。そのことが決して誇張ではないことは初期のピカソの作品を見れば一目瞭然です。というより、ピカソには作風というのが実はありません。その時代時代によってピカソが描いたものはあまりに違いすぎて、作風などという言葉ではくくれないのです。そんな素晴らしい模写の技術を持っていたピカソですが、一方でこんな発言もしています。「私は子供が描くような絵を描くには一生かかった」と。先日ルソーが絵画の技術を持たなかったことを紹介しましたが、そこでピカソはこのルソーをとても敬愛し手厚くもてなしたと言いました。これってこういうことだったんでしょうね。比類なき天才ピカソが唯一、その価値を評価できたのはルソーだったのかもしれません。

さて彼の作品や生涯を褒めていきたいのですが、時代ごとに区切って紹介、賞賛していきましょう。

「画家以前の時代」⇒「青の時代」⇒「バラ色の時代」⇒「キュビズムの時代」⇒「新古典主義の時代」⇒「シュールレアリズムの時代」⇒「ゲルニカの時代」⇒「晩年」

え?多すぎるって、いえいえ少なすぎます、だって15万点あるんですからね(*´▽`*)

※画家以前の時代(16歳~19歳)

この時代におけるピカソは前述のように見事な模写の才を見せます。晩年、多くの画家の同テーマ作品を手掛けるピカソですが、この頃は模写ではありません。「科学と慈愛」という作品がありますが、この作品などはダヴィッドが描くようなものになっています。教科書のピカソ作品を見てる人たちは、よもやピカソが描いたものとは思わないでしょうね。この卓越した技術は写実主義の画家としても一流であったことを証明するものです。

※青の時代(20歳~22歳)

19歳にしてすでに貧しさからは永遠に解放されたピカソ。この頃から“哀愁と絶望”を表す青をベースに、印象派絵画に近い作品を打ち出していきます。ルノワールやゴッホなどの影響も見られますが、特にゴーギャンの影響が強く、作品に漂う負のオーラがゴーギャンの影の世界をも吸収しているかのようです。代表作は「青い部屋」「自画像」あたりでしょうか。印象派画家としても一流であるとわかります。

※バラ色の時代(23歳~25歳)

この頃には青からの脱却を果たし、自由闊達な作品が増えてきます。それはフェルナンド・オリヴィエという女性モデルの影響でもあります。この後、ピカソは多くの女性との交際の中でインスピレーションを受け、数々の有名な作品を世に送り出すことになるのです。「パイプを持つ少年」は一面明るい暖色系で塗り固められており「青の時代」の面影はすでに消え去っています。

※キュビズムの時代(26歳~35歳)

「さあ、来た」とばかり多くの人がピカソっぽい絵として記憶に残している作風はこの時期から始まります。セザンヌの長方形からなる構図から生まれ始まったキュビズムの世界はピカソによって花開くことになるのです。とはいえ代表作の一つである「アヴィニョンの娘たち」が発表されたときの衝撃はいかばかりだったのでしょう。想像もつきません。三次元性の無視(図らずもルソーはこれに成功していたというw)、美への挑戦、もはや作品は試行と実験の場とされ、元となったアングルの「トルコ風呂」のような官能的で優美な世界はどこにもありませんでした。しかしすでに名声を得ていたピカソはさしたる批判も受けず(あってもものともせず)モダンアートの方向性を決定づけたと言われています。それにしてもよくもまあ、こんな絵を描こうという発想が出たものです。素晴らしいとしか言えませんね。ピカソに盗作疑惑があがったこともありますが、この作品の流れを見るにつけ、盗作という考え方は私の中には全く出てきません。この時代の作品に「マ・ジョリ」には当時の恋人エヴァに捧げる言葉が刻まれており、やはりピカソの創作活動の支えになっていたことがわかります。

※新古典主義の時代(36歳~43歳)

第一次世界大戦が始まり、恋人エヴァや多くの友人を失ったピカソは、またもや作風を大きく転換させることになります。そしてやがて結婚することになったオルガを描いた「ひじかけ椅子に座るオルガ」は一旦キュビズムから離れ、再び古典主義の世界を感じさせるものでもありました。ちなみに「水浴の女たち」という作品は赤川次郎さんの「三毛猫ホームズ」や恩田陸さんの最新作の装丁を手掛けたことで知られる北見隆さんの絵によく似ているように思います。

※シュールレアリズムの時代(44歳~55歳)

第一次大戦後も情勢不安は続き、第二次大戦への足音が聞こえる中で、ピカソ自身もオルガとの折り合いが悪くなり、新しくマリーテレーズとの生活を始めるものの、二人の争いに巻き込まれるなどとても不安定な時代を過ごすことになります。そんな中、ピカソの作品も同様にキュビズムからの流れで歪みが生じ、奇妙な世界観を映し出すことになります。「3人の踊り子」「鏡の前の少女」あたりはかなり前衛的な作品であり、「座る水浴者」に至ってはダリの作品に近いものがあります。しかしながら皮肉にもこの当時の作品の多くは、世に「これぞピカソ」という印象を決定づけるようなものが多く作り出されたのでした。

※ゲルニカの時代(55歳~64歳)

そして完成した「ゲルニカ」。押しも押されぬピカソの代表作であり、スペイン内乱に対して物議を醸した作品です。当初はスペイン政府の要請でパリ万博にてスペインの自由をあらわす作品としてパビリオンに出されたものの、その後多くの批判を浴び、あろうことかスペイン政府から反社会的の烙印を押されることになったいわくつきの作品でもあります。その解釈はいまだもって特定のものはなく、自由に多様な解釈を許してはいますが、現在では反戦のシンボルとして扱われることも多くなってきたようです。いずれにせよ、世界でとても影響力のある作品の一つであることは間違いないでしょう。またこの時代にはもう一つの有名な作品である「泣く女」も発表されており、モデルはドラ・マールです。え?誰って、この当時のピカソの愛人ですよw

※晩年(65歳~91歳)

晩年は巨匠が手掛けたテーマを次々にアレンジして世に出したピカソ。晩年にこのような挑戦を行っているのですからものすごい精力的な方ですね。それもそのはず、この頃にはフランソワーズ、ジャクリーヌと次々に愛人を手に入れ、男性としても全く衰えを見せなかったくらいですからね。冗談はさておき、ベラスケスの「ラス・メニーナス」、マネの「草上の昼食」、ゴヤの「5月3日」など、ぜひそれぞれの画家たちの原画と比べて楽しんでもらいたいものです。

私はピカソの何が凄いかと聞かれたら、我々の尺度で測れないところだと答えます。その作風はもちろんのこと数々の女性遍歴も含めて、常人では考えらえない生き様を見せてくれました。それが良いか悪いかは議論となるところですが、作品の芸術性に限って言えば、不世出の大巨人であったと断言できます。これほどの画家がこの世に生まれ、多くの作品を残してくれたのは、後世に生きる私たちにとっては幸せなことですね。

 

「ゲルニカ」以外のおすすめ10選

『水浴の女たち』

『3人の踊り子』

『絵を描く少女のいる室内』

『鏡の前の少女』

『ピアノ』

『草上の昼食』

『ひじかけ椅子に座るオルガ』

『科学と慈愛』

『アルルカンに扮するパウロ』

『座る水浴者』