【東山魁夷】を褒める

<苦難の中、西洋絵画と日本絵画の融合を図った抒情性豊かな色彩の探究家>

私の人生において、写実的な絵画を見てすぐに「これ、好きだな」と思えたのは東山魁夷の作品が最初でした。子供ながらに、「写真のように描かれているわけでもないのに、どうしてこの絵に惹かれるのだろう」と自分の感性を不思議に思ったくらいです。もちろん当時からゴッホやピカソといった写実的でない絵だってたくさん見ていましたが、その頃はそんなに好きになれなかったり、好きになるのに時間がかかっていたものです。けれども、ぼんやりとして、境界線がはっきりとしないもやもやするような絵を見て、私がすぐに好きになれたのは今でも謎です。けれども、想像するに幼いながらに心から癒しを求めていたのか、必死に全力で走り続ける私にとって、絵をみてほっと安堵できるような感覚は今でも覚えています。後年、その癒しが魁夷独特の作風によるものだとわかりました。抒情性にあふれ、それでいてとても静かな表現。対象となるモチーフは静物や自然が多く動きは少ないです。けれども、どれもうつろいがあり、微妙な変化を私たちに見せてくれるものばかり。魁夷はそんな清澄とも言える精神世界を見事に描き切っているのです。けれども作品に見られる静けさとは裏腹に魁夷の人生は波乱万丈といえるものでした。

父が船具商を営んでいたこともあり、横浜と神戸という港町で育った魁夷。モチーフとなる風景がそこら中に転がっており、水面の描写の素晴らしさは早くから開花していたようです。美術の学校に進み、ドイツ留学をした魁夷は最初の挫折を味わいます。ミケランジェロやティツィアーノといったルネサンス期の巨匠の圧倒的な作品に打ちのめされ、自らが画家になることなど間違いではないかと激しく落胆するのです。期待を持って海をわたった魁夷は失意のどん底に落ちます。けれどもそんな魁夷を救ったのは同じルネサンス期の巨匠フラ・アンジェリコの作品「受胎告知」でした。日本絵画にも通ずる穏やかで優しさを感じた魁夷は、西洋絵画と日本絵画の融合に光を見出します。そして己を取り戻し努力を続けていくのでした。けれども帰国した魁夷に待ち受けていたのはまたもやの苦難。父の事業は、次第に翳りを見せ始め貧しい生活を強いられます。やがて弟が病に伏し、父は他界。肝心の魁夷の作品も日本で評価を受けることはなかったのです。魁夷が海外で学んだ「写実を離れ単純な要素で画面を構築する」という画法はまだまだ日本では主流とは言えないものだったからです。さらに魁夷自身も徴兵され死を覚悟する事態に。もはや魁夷の画家としての未来は閉ざされたようにも思えたことでしょう。それでも戦後、退役して戻ってきた魁夷に、次なる悲劇が待ち受けていました。病に伏していた弟、そして母までもがこの世を去ったのです。魁夷の作品が一時、ほとんど無くなってしまったのもやむを得ないことでした。

後出しの理論となってしまいますが、魁夷のあの抒情性豊かな表現がどこから来ているのか。結果としてこの苦難の時期が大きく影響を与えていたのではないかと思うのです。私が初めて魁夷の絵に触れたそのときに感じた「癒し」は、魁夷自身が求めていた「癒し」だったのではないかと思うのです。こんな苦難の中、立ち上がり40歳を前に大きな悟りを切り開く魁夷を褒めないわけにはいきません。いつでも変わらぬ姿を見せてくれる風景に着眼点を見出し、ここから魁夷の作品が大きく評価されはじめるのです。前述の自然のうつろいを静かに映し出し、光をあえて押し殺すかのように「塗る」という形で作品の中に静かに湛え、自然の新しい美を描き出した魁夷。数々の作品を世に送りだした東山魁夷は、これまでのうっぷんを晴らすかのような快進撃を見せます。波乱万丈の人生は魁夷に、表現の妙を習得させ誰にも真似できない作風を確立させたのです。そこに至るまでの苦難を魁夷は見事にモノにしたのでした。

やがてより大きなテーマを求め魁夷は北欧へと旅立ちます。日本からの脱却、日常からの離脱。そしてドイツ留学でフラ・アンジェリコに学んだ西洋絵画と日本絵画の融合。作風だけでなくモチーフそのものにも融合の工夫を行おうとしたのでしょうか。静寂の中に、新たな生命の動きを感じさせるような北欧の自然。ますます魁夷の感性が研ぎ澄まされたというべきでしょう。緑を基調としていた作品は、次第に青を基調とするようになりました。魁夷の探求心はさらに続き、帰国して京都の雅の情緒に再び日本美を取り入れ、暖色を基調とするようにもなりました。晩年には水墨画の世界にも入っていくのでした。緑から青、暖色へと変化を見せた色彩の美はモノトーンの世界に帰着したのも、とても興味深いことですね。後に魁夷は水墨画を「色彩の世界よりも精神性が高い」と表現していたそうです。

おすすめ10選

『凪』

『道』

『夕星』

『白馬の森』

『緑響く』

『静かな町』

『花明り』

『青い峡』

『冬華』

『フレデリク城を望む』