【藤田嗣治】を褒める

<「乳白色の下地」技法を確立したパリの日本画家>

正直、迷ったんですよね~。藤田嗣治さんのこの記事を「日本絵画」「西洋絵画」のどちらに分類するかを。今回、単純に日本絵画の褒め記事が少ないという陳腐きわまりない理由で「日本絵画」に分類しました。えっ、そんなことで決めていいのかって?逆に真剣に考えて真に迫る理由を作ってしまうと議論になっちゃいますよ~w 私はあくまで“褒めたい”だけなので、そこはご勘弁を。でも色々あったけど、日本もパリもどちらも愛したことは紛れもない事実だと思います。

おかっぱ頭にちょび髭、丸眼鏡をかけたチャップリンを思わせる風貌で、自身が広告塔にもなった藤田嗣治。晩年、フランス国籍を取得し「レオナール・フジタ」となった彼は陸軍医総監の父のもとに生まれます。軍人になって欲しかったであろうお父さんですが、「画家になりたい」という息子の願いを黙って許可してくれただけでなく、その人脈を使って支援をしてくれるようになります。やがて黒田清輝のもと印象派を学んだフジタは次第に「フランスに行きたい」という願いを持つようになります。パリを夢見て美術展に応募するも落選続きのフジタに、またもや父は「フランスにいってゆっくり勉強してきたらどうだ」と背中を押してくれたというではありませんか。お父さん、かっこいい!ただでさえ古い時代の日本にあって、さらに軍医という立場にあるのに、こんな柔軟な考え方ができるなんてグッジョブですよね。そんな父親の後押しもあり念願のパリにわたったフジタですが、いきなり厳しい現実に直面します。

「あれ?印象派はやってない!?すでに古くなっちゃってる!!」

すでにフランスでは印象派は前時代的なものとなっており、新しい時代の波が押し寄せていました。ショックを受けたフジタでしたが、ピカソのキュビズムに触発され、ルソーの自由奔放さに魅了され、モディリアーニの技法の虜になったのです。大きな刺激を受けたフジタはこれらの新しい時代の技法を吸収しただけではなく、独自の画風の構築に専心しました。フジタの素晴らしさはまさにここにあるのではないでしょうか。印象派を学び、またたくまにキュビズム・フィーヴィズムなどの良い部分を取り込み、模倣に終わらせない飽くなき探求心がこの後の成功へとつながっていくのです。そしてこの進化し続けるフジタの絵画への対応の広さは、最後までしぼむことなく膨らみ続けることになるのです。

彼はこういったパリで出会った西洋の感性に加え、自身が生まれ育った日本の文化、墨を使うことを思いつきます。さらには麻布を使用することで様々な表現を模索し、やがて彼の代名詞となった「乳白色の下地」の実現にこぎつけるのです。私はこの辺りの技法そのものについて知識があまりないのですが、どうやら塗料や化粧品、ベビーパウダーまで使用されているというから驚きですね。こうして彼オリジナルな、そして今や誰もが「藤田嗣治」の作品として認識できるであろう“乳白色”背景が生み出されたのですね。それらは人間の肌の表現と親和性が高いように思えますし、実際多くの裸婦像が描かれているのですが、実は裸体にはすぐに手を出さなかったそうです(女性には結構すぐに手を出していましたが・・・)。「裸体は難しい、まず風景・静物に時間をかけた。裸体には7年間触れなかった」と残しています。私もフジタの作品で好きなのは意外にも部屋を描いたものだったりします。そうして満を持して人間を描き始めたフジタはもはや敵なしでした。その画風からは考えられないような強烈なインパクトがいつのまにか見るものの心に刻まれます。“美しい”とは少し違うかもしれませんが“生々しい”を如実に表していると思います。それでいて表情はツンとして冷たさを感じるのはとても不思議ですね。よどみのない輪郭線とあえて笑顔を書かなかったことがその理由であり、エコール・ド・パリと呼ばれたモディリアーニがもたらした画風がうかがえます。

けれどもこの無表情のツンとした作品だけがフジタの作風全てではありません。彼の戦争画に絵かがれた表情は正反対で、激しいまでの心情が映し出されているのだから驚きです。戦争がはじまった52歳のときに、軍部の協力要請を受けたフジタは従軍画家として、数々の戦争画を残していきます。どれも大作ばかりで圧倒されます。最初は作戦記録画に始まったようですが、いつのまにかフジタの創作意欲がかきたてられ、『哈爾哈河畔之戦闘』や『アッツ島玉砕』と行った戦争の現場の悲惨な場面を描くようになり、数多くの名作が生まれました。陸軍医総監の父の死もあり、使命感にも燃えていたようです。自身の画家としての道を快く送り出してくれた父親に対する、フジタなりの恩返しだったのかもしれませんね。

しかしながら皮肉にもこのことが美術界から非難されただけでなく。あろうことか敗戦後の日本から激しい誹謗中傷を受けることになったのです。失意のもと日本を去ったフジタはフランスにわたりフランス国籍を取得し、その後二度と日本の地を踏むことはありませんでした。これについてフジタは「私が日本を捨てたのではない、日本が私を捨てたのだ」と残しています。

このように西洋絵画としてのフジタの側面はごく一部であり、前述の戦争画の他にも、宗教画、風俗画、壁画など様々手を広げており、インスピレーションを得ればたちまち取り掛かってしまう生粋の芸術家だったレオナール・フジタ。猫の絵もとても巧で魅了されますよ。そうそう、自画像もたくさん残されてますよね。最近はフジタをコミカルにキャラクター化したグッズもたくさん出ていますのでぜひ探してみてください。

おすすめ10選

『私の部屋 目覚まし時計のある静物』

『私の部屋 アコーディオンのある静物』

『カフェにて』

『室内(妻と私)』

『イヴ』

『五人の裸体』

『タピスリーの裸婦』

『悲しいスペイン女』

『ラ・フォンテーヌ頌』

『十字架降下』