【フラ・アンジェリコ】を褒める

<神聖な主題を描き続けた敬虔かつ献身的な修道士>

私はかつてホームページを作っていたことがあるのですが、そのときに『印象派絵画と宗教絵画の違い』について考え方を書いたことがありました。印象派画家たちが自身の表現方法についてこだわりを持って作品を作るのに対して、宗教絵画はいかに自分の宗教観を作品に投影するかということにこだわりを持って作っている違いがあるといったことを記事にしたのです。そのときに宗教絵画の作品のつくり方をイメージしていたのは今回紹介するフラ・アンジェリコでした。彼は画家である前に、とても敬虔なクリスチャンであり高潔で清浄な修道士だったからです。

本名はグイド・ディ・ピエトロ。“アンジェリコ”とは「天使のよう」を意味しており、彼が残した作風からそう呼ばれるようになったそうです。彼は若くして卓越した色彩感覚を持ち、彼のもとには多くの依頼が舞い込んでくる状態でした。そのまま画家として生きていけば、望めば大金持ちになったであろうと言われています。しかし信心深い彼はそうはしませんでした。彼はあくまで自身の信仰の厚さを作品にしていただけであり、彼の望む姿は修道士であったのです。こうして信仰の道に進んだフラ・アンジェリコは信仰心を貫きながら数々の作品を残していきます。彼ほどの才がありながら、それを仕事とせずに信仰を優先するのは、宗教心の無い日本人には理解し難い部分もありますが、生き様としてとても素晴らしいと思えます。進む道が何であれ自身の大切にしているものを、利害抜きに貫ける強さは誰にも感動を与える事でしょうし、そのことゆえに彼の作品はぶれない強さをもっているのです。多くの画家が自身の描きたいものを描きながらも、生活苦に悩まされ、作風を変えたり、貧しさの中で制約を受けざるを得なかったのと好対照です。

結果としてフラ・アンジェリコは、生涯通じて神聖な主題しか手掛けなかったのです。それどころか、あまりの信仰心ゆえに、キリストの磔の姿を描いた『十字架降下』などは泣きながら描いたというエピソードも残っています。さらには彼は、作品の対価をほとんど受けることもなかったと言います。それでいて数多くの教会からの依頼を黙々と手掛け、そのどれもが高い評価を得ているという事実。そんな忙しい生活の中でも宗教義務を果たし切ったその高貴な姿を見た周囲からは「フラ・アンジェリコは数多くの美徳で輝いていた」と賛美の声が相次ぎます。

少し宗教人としてのフラ・アンジェリコに迫り過ぎましたか。美術の褒め記事ですから、画家としての側面を見ていきましょう。彼の作風は時代を通して3段階の成長を見せています。まずは伝統の画法を重んじ、とても正統派の作品を描いている時期がありました。いささか個性に欠けているように思えますが、彼の信仰心が従順であったことを示しているような感じもあってそれはそれで面白いですね。その後、他の作品に影響を受け、良いところをどんどんと吸収していきながら、作品の質がどんどんと高まっていく時期を迎えます。有名なコルトーナ修道院の『受胎告知』はまさにこの時期のものの集大成と言えましょう。さらに晩年は作風にとても温かみが増し、柔らかさのようなものを持ち始めることがわかります。能面のような表情には血が通い、心の描写が作品に成されていきます。同じテーマで比べるとするならばサン・マルコ修道院の『受胎告知』がわかりやすいと思います。

上記のような作風の変化というのは通常の画家であれば、作品に相対し芸術家としての成長に伴ったものだと思うのですが、私はフラ・アンジェリコについては少し違うと思っています。彼の場合は、彼自身の信仰心の変化・成長だったのではないでしょうか。敬虔な彼に作品への自身の芸術家としての投影はなかったと思うのです。だからこそ無限に成長できるとも言えますし、芸術家としての苦悩とは無縁であったと思えます。彼は1枚の絵の中に聖書の物語を表現した生粋の宗教人であったのです。

おすすめ10選

『受胎告知』コルトーナ修道院

『受胎告知』サン・マルコ修道院

『エジプトへの逃避』

『ノリ・メ・タンゲレ(われに触るな)』

『十字架降下』

『聖ニコラウスの生涯』

『聖母の戴冠』サン・マルコ美術館

『サクラ・コンヴェルサツィオーネ』

『嬰児虐殺』

『死せるキリストの哀悼』