【ロセッティ】を褒める

2021年11月25日

<ロマンティックな世界を絵画で表現する情熱的な詩人>

“ロセッティ”を褒める・・・ロセッティを褒めるのですね、そう、ロセッティを。知れば知るほどなかなか褒めづらくなってしまうロセッティ。けれども間違いなく高校生の頃の私に衝撃を与え、今でもその感動を忘れさせないロセッティ。『プロセルピナ』は今でも大好きな作品の一つであり、西洋国立美術館にて『愛の杯』を見る事ができる幸せを嚙みしめてもいます。

亡命者の息子として生まれたロセッティは、若い頃から素描の素晴らしさが認められていたようです。けれどもアカデミーの教えを嫌い、はっきりと「私は義務として課せられるとやる気を失ってしまう」と、なんだか子供たちが呟きそうな不満を、結構な大人になるまで唱え続けていました。学校教育を嫌い、画一的な教育を嫌い、自由奔放のびのびと暮らしたいロセッティなのでした。もちろん彼にはそれだけの才があったわけで、そこが凄いわけですけどね。そもそも彼は自分の事を“画家”とは定義づけず“詩人”だとしていました。これは画家になるか詩人になるかを迷ったときの友人からのアドバイスだったようです。絵を描きながらの詩人としてロセッティは生きていたのです。そして絵は自身の世界を表現する一つの手法にすぎなかったというわけですね。

ともかく堅苦しいことが大嫌いなロセッティ、嚙みついたのは学校教育にとどまらず、美術の世界における古い慣習すべてを嫌い、その原因がラファエロにあるとしたのでした。そして同士であったミレイ(オフィーリアの絵で有名ですね)やハントらとラファエル前派を結成、反旗を翻したのです。これには美術界もびっくり、ラファエロ大好きな私もびっくり、あっという間に非難が集中します。これに真っ向から戦うかと思いきゃ、「私はもう公には作品を発表しない」とひっこんじゃいます。ラファエロ前派はあっという間に解体。なんだかお茶目だなあw

まあまあこれくらいなら、可愛げがあるのですが、この後ロセッティの行動はエスカレートしていきます。と同時にその才能はますます花開いていくのです。これだから芸術家って人たちはね、凡人では計り知れない方々ばかりなんですよ。あ、褒めてます(^_^;)

そもそもロセッティはまともな教育を嫌ったこともあったせいか、初期の作品には絵としては未熟だったり、欠陥があったりしました。しかしながら圧倒的な構成力と表情の深い表現力によってそれをカバーしていました。細部の描写には一切こだわらず、風景を嫌い、ただただ表情を魅力的に映し出したのです。それはいつしか官能的に蠱惑的に発展していきます。一体ロセッティに何があったというのでしょうか。

ロセッティには愛してやまない妻、リジー・シッダルがいました。ロセッティにとって理想の女性であり、いつしか神格化し女性の美のインスピレーションを彼女から受けたといいます。ロセッティといえば美しい女性、スタナー(目の覚めるような女性)を追い求めたことで知られています。しかしあまりにリジーを愛するあまり、リジーに触れることすらできなくなり、夫婦関係をも否定し始めるのです。そしてここからが少し歪んでいて理解しがたいところなのですが、そのはけ口を他の女性に求めたというのです。愛人となったモデル、セアラ・コックスと関係を結ぶことで、彼の代名詞でもある悪女(ファム・ファタール)を描きだし、官能的・蠱惑的な世界観を広げていくのでした。その関係を続けたまま、妻を変わらず愛し続け、妻の死には立ち直れないくらい打ちひしがれたといいます。ここからまたもや理解不能なのですが、今度はこの理想的な女性が必要とばかりジェーンという女性をそばにおいて、なおかつ愛人を増やしているところは、もうピカソの世界に入ってしまいますね。「芸のためなら女房も泣かす」というような歌がありましたが、倫理道徳についてはここではおいておくしかありません。時代的な背景、お国柄もあったのかもしれません。

ただ結果としてロセッテイの衝撃的なまでの女性像は美術史上、大きく評価されています。この後ビアズリーらにも影響を与えたと言われますし、ティツィアーノやクリムト、モローらが描いたファムファタールの一つの形を世に見せつけたのでした。事実、私が衝撃を受けたのも言うに言えない魔力のようなものをロセッティの作品から感じ取ったことを否定できないのです。今にまで続く衝撃を与えるインスピレーション、そしてロマンティックな世界を詩人・ロセッティが表現してくれたことについて、褒める以外、手段は見当たらないのです。

おすすめ10選

『プロセルピナ』

『ベアタ・ベアトリクス』

『愛の杯』

『聖ゲオルギウスとサブラ姫の結婚式』

『パオロとフランチェスカ・ダ・リミニ』

『最愛の人』

『モンナ・ヴェンナ』

『7塔の調べ』

『緑陰のいこい』

『ベアトリーチェの1周忌』