【『野の春 ~流転の海 第九部~』宮本輝】を褒める

読了後の感想(2分で読めるよ)

ついに流転の海シリーズを読み切ることができました。宮本輝先生にとって足掛け37年にも及ぶ超大作。そして私にとっても初めて流転の海に出会ってから20数年の時を経て、ここに完結ですね。(“宮本輝”さんの名前を知ったのは、学生時代の課題図書でしたよ)私はこれまで池波正太郎さんの『真田太平記』全12巻を読んだのが最長なのですが、それは一気読みだったため読破に要した期間は2ヶ月程度でした。ですので20数年という長期間にわたっての読破は今作が最長ということになります。今後これを打ち破るのは大沢在昌さんの新宿鮫シリーズくらいのものでしょう。

大いなる大河小説として間違いなく日本の小説で屈指の作品と言える流転の海シリーズですが、読み終えて改めて『流転の海』という言葉がしっくりくることに気づきます。最初読み始めたころ、いや、今回再読したときでさえこのタイトルの意味をわかっていなかったように思います。荒れ狂う松坂熊吾の人生、もとい、荒れ狂う松坂家の運命、もとい、荒れ狂う昭和初期の日本、これを言い表したのが『流転の海』だったわけですね。出だしから大いなる巨人として豪放磊落、圧倒的な存在感を見せつけた松坂熊吾が最後はあまりに小さく、弱々しく描かれ、儚く散った物語。時代に翻弄され、仕事と家族の両立に悩まされ、人間関係で失敗を繰り返し、結果としては愚かにさえ見えるその人生。それは敗北の人生だったのでしょうか。私はそうとは言い切れない気がするのです。描写が小さく哀しいものであればあるほど、やはり松坂熊吾は大きく堂々たる人生を送ったように思えるのです。得意な仕事の分野において成功をなしながらも、得意とは言えない家族に愛情を傾けようとすることで、仕事も傾き、注力した家族さえ愛想を尽かされたことが昭和を生きた男たちの生き様にも見えてしまいます。時代は平成を越え令和の時代、人事の私にとって松坂熊吾のその生き様は否定すべき部分が多かったですし、今でも容認できないシーンが数多くありました。けれどもその当時はその生き方こそが、次の時代を切り開く唯一の道であり、失敗してしまったのかもしれないけれど、熊吾は間違いなく妻と息子のために大きく舵を切っていたのです。それが単純なサクセスストーリーにならないところが、人生の難しさを表しています。同時に今の世の中が仕事とプライベートの両立ができるようになってきたことを感謝できるのです。熊吾は今の時代をどのように見ているのでしょう。羨ましく思っているのではないでしょうか。

今回9作品を読んだわけですが、最終巻の『野の春』だけが毛色が違って見えました。年間ランキング入りさせるのはもう間違いのないところなのですが、当初は9作品合算でランクインを考えていた私も、『野の春』だけでランク付けを行おうと思っています。その理由としては、今年のランキングとして今年文庫化された『野の春』がふさわしいということ、そして9作品の中でも群を抜いて心に響いたこと、さらには宮本輝さん自身が『野の春』のタイトル、構想が固まって、ようやく描ききれるという確信にいたったというあとがきを読んだこと、などがあげられます。

あらためて言いますがこの作品は宮本輝先生の自叙伝であり、松坂熊吾は先生の父親がモチーフとなっています。ですので並々ならぬ思いをもって描かれていますし、感情が先走る部分もたくさん感じました。母親の苦労に報いたいという思いに加えて父親の生き方に対する反発心などもあったのではないかと思います。けれども最終的には父親に対する感謝に形を変え、父親の年齢を超えた中で見つめる父親像を追求した作品だったように思います。一方で先生は、「松坂熊吾という人物はモチーフは父親だが、もはやそのキャラクターが一人歩きしてしまっている」とおっしゃっており、ただの父親としての側面だけでなく、やはり昭和を生きた一人の人間を描いており、成功から転落という人生のままならない姿をありのままに映し出してくれました。

いやはやものすごい作品が生み出されたものですね。しばらく“流転の海”ロスに陥りそうです。

簡易レビュー

読みやすさ ★★★★★★

面 白 さ ★★★★★★

上 手 さ ★★★★★★

世 界 観 ★★★★★★

オススメ度 ★★★★★★

 

野の春 ひょうちゃん作目次

*勘のいい人にとってはこの程度でもネタバレになるかもしれません。

もし不安であればこの先は見ないでください。

 

第一章 熊吾の再出発

第二章 タネの就職

第三章 中国の話

第四章 伸仁の成人と熊吾の涙

第五章 沼津さち枝の遺産相続

第六章 火と水を交わらせる

第七章 熊吾倒れる

第八章 熊吾の死