【マティス】を褒める

2022年8月23日

<色彩の魔術師と呼ばれた実は常識人だったフォーヴィズムの旗手>

後期印象派について話し始めると、最後のあたりに出てくるマティス。近代美術の話をし始めると最初のあたりに出てくるマティス。その作品を見ると印象派っぽいものもあれば、シュールレアリズムっぽいものも見られるのですが、マティスの美術史の分類としてはフォーヴィズム(野獣主義)ということになるでしょう。色彩における大いなる実験・試みがなされ、近代美術史への大きな転機となった重要な転換点でもあります。そしてその中心に居たのがマティスやルオーらなのです。時期としては非常に短い区切りであり、ピカソにかかれば作風の一瞬に過ぎないような期間かもしれませんが(とはいえピカソはマティスと仲が良い)、この転換の流れは美術史の中でもとても面白いものだと私は思います。

マティスは元々、自身の癒やしに絵を描いていた程度でそもそも画家になる気はなかったようです。けれども次第にその魅力にとりつかれ、父の反対を押し切って絵の勉強を始めます。最初に学びを受けたのはサロン画の名手・ブーグロー(美しいヴィーナス誕生は写実主義の最高峰とも言えますね)でした。けれどもマティスは変わり映えしないつまらないものとしてブーグローに幻滅してしまったようです。そして次に師と仰いだのがギュスターヴ・モローでした。「サロメ」などで斬新な絵を手がけたモローは指導者としても優れており、マティスだけでなくルオーも教えたのです。いやいや、モローさんすごいやん!マティスには絵の具を自由に使わせ、奔放な彼の画風を抑えることなく伸ばしてあげたのです。これにより後年フォーヴィズムが創生されるのはとても面白い。まずはモローを褒めましょう。

けれどもマティスも実はここに褒めポイントがあるのです。彼は生涯においてあらゆる出会いを自分に活かし、何らかの変化を自分にもたらしているのです。謙虚で柔軟な姿勢がこの成功の支えとなっていたのです。後期印象派のリーダー格・ピサロのアドバイスに従いターナーの強烈な色彩を学び色彩の魔術師たる基礎地を作りますし、新印象派のシニャックからは明るさだけでなく鮮明さを学び取っています。また小説家との出会いを通して資金援助をしてもらい、豪商からは数多くの絵の依頼を取り付けていきます。ピカソとはよきライバルとして刺激し合い、自身が壁にぶつかったときはセザンヌの手法で乗り越えたりしています。マティスは非常に学習能力や処世術に長けた人物だったと思えます。

その背景に、彼が真っ当な常識人であったことが挙げられるではないでしょうか。彼のその斬新な作品とは違い、人間・マティスはピカソやゴッホ、セザンヌらのような特異とも言える芸術気質はなかったようです。そのため「フォーヴィズム」というレッテルを嫌い、「下劣」「異常」「退廃的」といった烙印がどうにも受け入れられなかったのです。そのため彼は必死に平安、静寂を追い求めたというではありませんか。

彼はこんな言葉を残しています。

「私が夢見るのは主題を困惑させたり混乱させることのない安定と清浄と平穏の芸術だ」

「それは慰めとなる力=精神安定剤、肉体の疲れを癒やしてくれる座り心地のよい肘掛け椅子」

彼は実は激情型ではなかったのです。色彩を通して全てを表現したかっただけで、そこには独特の安定感が存在します。彼の安定・平安とは作品の単純化であり簡素化だったのです。そのため色は極力使わないという手法に走ります。多くの色は目が混乱してしまうからだそうです。マティスが主に使ったのは“朱色” “青紫色” “青緑色” “オレンジ色”の4色だけでした。あと1色使って描けない場合は描き直したくらいです。これが結果としてあの大胆さを生み出したというわけですね。色彩を制限すればするほど色の表現効果は増すという事をマティスは発見したのです。これが近代アートの礎となったのは言うまでもありません。

ちなみにこの色彩を限定する手法を用いるに当たり、複雑な絵を描いていてはどうしても限界にぶち当たる問題についてマティスはセザンヌの幾何学的な技法に解答を見つけています。常識人のマティスが偏屈者のセザンヌの中に答えを見いだすとは、なんとも面白い結びつきです。

最後のマティスの言葉をもう一つ、彼の言葉は心に残りますね。

「緑を描くときそれは草を意味しない、青く塗っても空を意味するとは限らない」

 

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