【3月】の褒め活

3月1日

この褒め活では褒めてばかりで引き締まらないと思われるかもしれません。けれども、一個人の一日の生活から考えれば微々たるものです。一日という長い戦いに耐える英気を養うためにも、毎日でも褒めて始めたいという願いがありました。

3月2日

信念という言葉は、私の座右の銘もあり、とても好きな言葉です。けれども信念を貫くのは簡単なことではありません。私の場合、この大切な言葉を実践するためにも褒めることや褒められることは欠かせないのです。それによって強い信念を持ち続けることができたのです。

3月3日

誰しも素直な心を持ちたいと思っていると思います。けれども成長とともに、素直な気持ちにブレーキをかけることが多くなるのはなぜでしょう。何かに遠慮しているのでしょうか。凄いと思ったら凄いと言えばいい、素晴らしい事は素晴らしいと褒めるのも素直な心の一つだと思います。

3月4日

褒め言葉は投資でよいと思います。たとえ褒め過ぎだったり、褒めるに値しなかったとしても褒めているうちに花開くこともたくさんあるでしょう。あふれる褒め言葉に恐縮してそれに見合う動きをすることもあるでしょう。たとえそうならなかったとしても、言葉に過ぎません。貸し倒れなどありません。

3月5日

私たちは生きていく上で大なり小なり、他の人によって支えられて成り立っています。目の前に映る景色にはほとんど映ってませんが、何らかの形で共存しているのです。そこに感謝の気持ちがあれば、その人たちの存在を褒めたい気持ちになると思うのです。

3月6日

失敗またよしです。失敗は成功のもとと言いますが、本当にそうですね。失敗があって改善があり、たくさんのことを得られます。けれども叱ってばかりでは失敗を恐れてしまいます。どんどん失敗できるように周りで褒めて支えてあげましょう。

3月7日

褒めることがお互いの信頼感が増すと思います。人は誰だって自分の事を褒めてくれるのは嬉しい。そしてそのように褒めてくれる人を信頼するようになるのです。信頼関係があれば、それぞれが能力を発揮して大きな力を生み出すことができるはずです。

3月8日

決心を貫き通せないのもまた人間の特徴です。だから神様は私たちに褒め言葉を与えたのではないでしょうか。一人で貫き通せる力を持って孤独な事と、弱さを周囲の応援の中で克服していく事とどちらのほうがよいでしょうか。私は後者に希望を感じます。

3月9日

人の心はなかなか計算どおりいきません。理論ではありません。そんな人間の心の機微を受け止めてあげることが大切です。自慢してはいけない、でも褒められたい。これも立派な心の機微です。そこを察知して褒めてあげると、自慢しなくて済むし、いつか褒め返してくれるでしょう。

3月10日

友達をなかなか作れない方は、褒めることからはじめましょう。「友達になってください」とダイレクトに言わなくても「すごいですね」「素晴らしいですね」「素敵ですね」と言うだけで向こうから「友達になりましょう」と言われるはずですよ。

3月11日

褒めることで始まる縁というものがあると思います。とても素晴らしい事に対して思わず褒めた時に、相手がそのことに喜んでくれて会話が始まったりするものです。そしてその関係は大抵において良好なものになっていくことが多いような気がします。

3月12日

褒めることを遠慮してしまうのは何故でしょうか。理由の一つに反応を恐れるというものがあると思います。褒めたけど返事が無かったらどうしようと思っちゃいます。だから返事は期待しないと決めてみるのです。返事があろうとなかろうと開き直って褒めるといいでしょう。

3月13日

お金のツケ払い同様、我慢のツケを払わせていることはないでしょうか。知らずのうちに相手に負荷をかけたり、相手に甘えたりしていることがあるものです。そのツケは褒めることで一気に解消してください。もし逆の立場で我慢のツケがたまっていても、褒められたら流せますよね。

3月14日

仕事はもちろん大切です。事業の成功、役職の全う、新しい物の創造など。けれども全ての土台は人にあると思いませんか。人間として充実していることがあっての仕事です。仕事の成功を褒める以上に、人間としての成長を褒めてあげましょう。

3月15日

信用は、その人の能力や仕事ぶり、技術の高さや知識の深さなどで得られることもあるでしょう。けれども信頼は違います。もちろん前述の内容も大切ですが、もし否定され続けても信頼は揺らがないでしょうか。褒めて認めることによって信頼は揺るぎないものに変わります。

3月16日

ハラスメントはもはや社会問題です。人事業務の中でも防止のための動きが法律的にも求められています。背景に全て指導という正当な理由があってもです。今のところ、褒める指導についてこのような法律的な制約はありません。発想の転換が必要だと思います。

3月17日

褒めることはいつでも誰にでもできます。衣食住全てにおいて、私たちは様々な恩恵を受けています。丁寧に一つ一つに目を向けると、私たちだけで準備できるものなどごく一部であることがわかります。そんなとき、周りの方々への感謝の思いがあふれます。それを褒めればいいだけのことです。

3月18日

放っておくと危険なことを強く叱るのは当然のことだと思います。何度も言いますが、それを否定しているのではありません。けれども「危険なこと」はそんなに多くはありません。杞憂に終わりそうなことだってあります。叱らなければならない中、どう褒めるのかを考えるのも教育です。

3月19日

この世に全否定できる人などいるでしょうか。どんなできない人間でも全否定できるかどうか問われたら、さすがに躊躇することでしょう。天は二物を与えずと言いますが、一物は与えられているはずです。共同生活において大切なのはこの一物をしっかり認めて褒めることだと思います。

3月20日

間違った行動は厳しく叱られるべきです。けれどもその人の人格を否定することは許されません。「罪を憎んで人を憎まず」とはよく言ったもので、私たちも「罪に対して叱り、人に対して褒める」というスタンスが必要だと思います。

3月21日

喜ばれる事をしたいとは思いませんか。相手を褒めれば大抵の場合喜ばれると思います。もちろんいい加減に褒めていては却って気分を害してしまうでしょう。だから本気で褒めなければなりません。私たちはまだまだ本気ではないと思います。究極の褒めを実現したいものです。

3月22日

何事も想像を超えると感動するものです。想像を超えた大きさや想像を超えた技術、想像を超えた美しさには心が震えたりします。では想像を超えた褒め言葉はどうでしょうか。何物にも増して感動できるのではないでしょうか。褒め道というものがあるなら、それが到達点です。

3月23日

私が社会人になった頃、とても厳しい師匠がいました。雷親父と言ってもいいような方でした。雷にうたれたように叱られました。けれども私はその人のことがとっても好きでした。なぜなら誰よりも大げさに褒めてくれたからです。大声で褒められることが今でも忘れられません。

3月24日

褒めるためにはまずもって相手の事を喜んであげられなければなりません。そこに妬みがあると褒めることはできないのです。では何故妬むのでしょう。それはやはり十分に認められていないからだと思います。だから妬む気持ちがあるなら、自分を褒めてあげてください。

3月25日

褒める基準は最低の自分においてよいと思います。最低な自分より少しでも勝っているものがあれば、それは褒めるに値します。仮に最低な自分を更新してしまった場合・・・そのことにきちんと気付けたことを褒めてあげて下さい。

3月26日

健康であることも褒められることの一つです。では不健康なことは褒められないのでしょうか。そんなことはありません。辛く苦しい闘病生活や摂生などに耐えているのですから。実際、我々が考えている以上に生きることは大変なことなのです。そのことを褒めるように何度も伝えています。

3月27日

褒め活を始めたのは日本人は褒めることが少なすぎるということを思っていたからです。これは正当な評価とは思えません。努力は隠れてするもの、褒められる為にやるのではないという精神論が幅を利かしていますが、評価においては努力を正当に褒めてあげるべきだと思います。

3月28日

完璧な人間などどこにもいません。もし完璧でないところを指摘しあっていくことを続けていたら一生褒められる機会など訪れませんし、褒められる人などいないということになります。70点という及第点をとれれば残りの30点は叱るまでしなくてもよいと思います。アドバイスで十分です。

3月29日

現状維持はマイナスと同じと言います。たしかに成果においてはそうでしょう。けれども人間生活においては違います。何かを保ち続けるのはプラスと言えるのです。褒めるというのは何か大きな成果を求めているのではありません。地道に守り続けている姿勢に対しても褒めればよいのです。

3月30日

性善説に基づいて褒めろと言っているわけではありません。他人中心の生き方をせよと言ってるわけでもありません。私は褒めるというのは自分自身のためだと思っています。ある意味、自己中心的で下心があるとさえ言えましょう。けれどもそれで人生が豊かになるのだから褒めない手はありません。

3月31日

病院にお見舞いに行って励まさない人はあまりいないでしょう。ましてや厳しく健康を損なったことを指摘する人はいないでしょう。現代社会は皆何かしら心に病を抱えているようなものです。ですから、病状が酷い場合は褒めて励ましてあげるのは当然のことです。