【ティツィアーノ】を褒める

2022年7月22日

《細心の配慮を払って成功したヴェネツィアの挑戦家》

ティツィアーノの絵を見るときの安心感は半端ないです。2017年に東京でティツィアーノのの『フローラ』を観に行くチャンスがあって、時間的に難しく当日天候も悪かったんですが、「ティツィアーノだしな、行って損はないしな」と決行したのを覚えています。もちろん大満足の展覧会でした。

どの絵を見ても優美さを感じ、うるんだ目をたたえ、やわらかな肌がゆったりと受け止めてくれる、殺伐としたこんな時代にぴったりの作品ばかり目にすることができるでしょう。あたかもラファエロの聖母子像にも通ずるような画風で、癒しを与えられることでしょう。しかしながら、実はフィレンツェの巨匠たちとは少しアプローチが違っていたりすることをご存知でしょうか。その画法をミケランジェロは決して認めようとはしませんでした。

ティツィアーノの生涯をみると、総じて裕福で成功したと言って差し支えないでしょう。ヴェネツィアにおいてはライバルもなく、彼の独壇場であったといっても過言ではありません。しかしながら、何の努力もなくただ運のみでのしあがったのかというとそうではないのです。

最初の師を変え、同僚との差別化に腐心し、独特の画報を着々と編み出していきながら、一方で王侯貴族におもねき、彼らの喜ぶ肖像画を数多く仕上げる中で、専属の肖像画家として多くのパトロンを得ていったのでした。その露骨なアプローチは、「金の亡者」として、批判され揶揄されることもしばしばだったのです。そのようにして確固たる地位を揺るぎないものにしたティツィアーノは、巨匠たちとは別のアプローチで自らの作品を仕上げていきます。

これまで素描をきちんと仕上げてから、そこに作品を施していくやり方が主流で、そうすることでミケランジェロの描くような力強くダイナミックな作品が完成していたのですが、ティツィアーノはあえて、その手法をとりませんでした。素描に頼らない大胆な筆遣いで、直接キャンバスに描いていく手法で、前述の柔らかさや優美さを表す、雰囲気や気分を全体的にとらえることに成功したのです。ティツィアーノの名作に女性が数多く出てくるのもそのせいでしょう。

そして、褒めポイントの一つが“仕上げ方”にあります。最後に指で絵を伸ばすようなことは、今でもよく行われていますが、ティツィアーノの場合「筆より指を多く使った」と言われるほど、指での仕上げにこだわったのでした。晩年、絵が描けなくなったティツィアーノに「仕上げだけでも彼にお願いしたい」という依頼が殺到する点からも、いかに彼の仕事振りが完璧であったかがわかりますね。結果、ルネサンス期に描かれたにも関わらず彼の絵は「印象派」的と言われるようにもなりました。このような挑戦を行うにあたり、彼はパトロンを味方につけ、巨匠たちに頭を下げていたというのも、“根回し十分”な彼の細心の注意を感じます。

加えて女性の裸体は「ヴィーナス」「女神」においてのみ許されていたテーマでした。誰もが見たことのある『ウルビーノのヴィーナス』はその背景や付き人、忠実な犬によって、その正当性を見事に証明しています。後年、マネの『オランピア』がまったく構図でありながら、背景の違いによっていかがわしいと大論争を巻き起こしたことを思えば、ティツィアーノの細心なまでの心遣いが作品を守ったとも言えるでしょう。

『聖愛と俗愛』を一度、ご覧になってください。片方が着衣、片方が裸体で描かれています。これは地上にいるヴィーナスと天上にいるヴィーナスを並んで描いているのでが、どちらもヴィーナスであることは一目瞭然です。真ん中のキューピッドや衣服や壺などを通して、巧みに現世との区別を表現しているのです。

このように細かなところまで、心配りをして作品を描いてくれるティツィアーノは安心していられる画家の1人なのです。

おすすめ10選

『ウルビーノのヴィーナス』
『エウロペの略奪』

『聖愛と俗愛』

『フローラ』

『ダナエ』

『ノリ・メ・タンゲレ(われに触るな)』

『果物皿を持つラヴィーニア』

『悔悛するマグダラのマリア』

『タルクィニウスとルクレツィア』

『バッコスとアリアドネ』