【ミレー】を褒める

<貧しさの中で人間の実在感を示したバルビゾン派の巨匠>

印象派記事では少し触れましたが、ロマン主義から印象派の橋渡し的な役割を果たしているのがバルビゾン派です。このバルビゾンはミレーが移り住んだバルビゾンの土地を指すのですが、ここに集結したテオドール・ルソー(アンリ・ルソーじゃないよ)やコロー、そして今日紹介するミレーらをバルビゾン派と呼ぶようになりました。主に自然の風景画を得意とし、印象派にも多大な影響を与えたバルビゾン派ですが、ミレーは実は風景ではなく人物に焦点をあてていたのです。ミレーは生きている人間の働く姿こそ尊いエネルギーを発したモチーフであり、もともと農家だったミレーが農民を描きだすことにより、自然とその農場の背景が風景画として成り立ったという特殊な経緯を持っていたりするんですね。

そう、ミレーは農家の息子だったんです。幼い頃から農作業にいそしみ汗を流していたわけです。けれども決して裕福ではない家庭ではなかったにも関わらず、父親が美術愛好家であり、親戚にも知識人が多かったため、ミレーは次第に文化芸術に触れるようになります。そして19歳になってから絵を始め(これ、かなり遅いですよね、他の画家だと19歳で才能を見出されたり成功とかしてますから)、まずはその才を肖像画において発揮します。そして成績優秀でパリの美術学校に入学しますが、パリでのミレーは散々だったようです。ミレーが嫌っていたロココ様式の絵画ばかり描かされることに嫌気がさし美術学校を中退してしまうのです。んー、ロココは私好きなので、ちょっと複雑だなあ・・・w。ま、でも、後年のミレーの作品からはロココなんて欠片も感じないもんね、仕方ないね。こうして芽が出る前に地元に帰ってしまったミレー。当然、暮らしは貧しいものとなるわけですね。サロンに作品を出しても審査ではねられ、全く認められる兆しもない苦しい状態。当時はカンヴァスを買うお金さえ無かったそうです。そのため、自身のポリシーを曲げて「裸体画」を描くことになったりするのです。描きたくないものを描かないことで、地元に戻ったのに、再び描きたくない絵を描かざるを得ないというのも皮肉ですね。ここで登場するのがこの貧困時代を支えた後に二人目の妻となるカトリーヌさんです。これがとてもよくできた女性で、どんな試練や貧乏にも耐え、夫の創作活動を献身的に支えた伝記には必ず賞賛されるほど素晴らしい内助の功を見せるのです。低俗な絵であろうと、なんであろうと必死にはいあがろうとするミレーを励まし続け、彼の絵を評価し続けるのでした。ダリの奥さんのガラはインスピレーションを与えるような存在でしたが、カトリーヌさんは本当に生活面等でミレーを支えてたんですね、すごいことです。ちょうど、この記事の一つ前にデューラーを褒めているのですが、彼の奥さんが悪妻で有名だっただけに対照的ですね。

しかし時代はミレーを後押しします。フランスにて革命が勃発したことでサロンがにおける審査が廃止されたのです。これによって世に出た作品「箕をふるう人」が大絶賛をあび、ついにミレーの作品が注目されるようになるのです。けれども注目されるとついてまわるのが誹謗中傷の声。「ミレーは裸を描くしか能がない」という声を聞いたミレーは、この先二度と裸体画は描かないと決意。カトリーヌもそれに逆らうことなく夫を後押ししたといいます。そして、描くべきテーマを労働者の尊い姿、特に自身のルーツでもある農民の姿に焦点をあて再出発をしていくのです、ここに、真の意味での農民画家ミレーが誕生するのでした。そして選んだ創作活動の地はバルビゾン。ここにバルビゾン派の巨匠の歩みが始まっていくのです。当初は生活も苦しかったものの、ここで「種蒔く人」「落穂拾い」「晩鐘」といった名作の数々が生まれます。そして印象派へとつながる自然本来の美しさを絵画によって表現する潮流を作り、大きな影響を与えることになるのです。

しかし冒頭でも申し上げたとおり、ミレーは単純に風景画を描こうとしたわけではありません。“労働者の汗”こそが取り扱うべきテーマ。貧しい暮らしの中で、必死にお金を稼ぐ自らの状況と、政治に翻弄される市民の苦しみを表現するために、苦労し働き必死に生きる人間の生活に根差した実在感。これを伝えたかったのです。そのことを踏まえてミレーの作品を見返すと、なるほど風景は見事なれど、その主役は間違いなくそこにいる人物にあてられているのがよくわかります。とても存在感があり、時に風景の描写が追い付かなくなるくらい、人の姿に目を奪われます。農民画家として有名な画家にブリューゲル(父)が居ますが、彼の場合は明らかに背景が中心です。人物は点のような存在、あるいはたくさんの人物がすでに背景の一つとして描かれています。ミレーはそれと異なり、少ない登場人物、淡白な背景で構成されているので、両者の作風は全くもって異なります。

ミレーの褒められるべきは、作品を宮廷や政府のものから市民のものへと近づけたこと。そしてそれが後におこる印象派の大きなうねりを生み出したこと、それら全てミレー自身が経験した貧困生活に起因していたことではないでしょうか。だからこそ、今我々の目にも彼の絵がとても近しく温かく勇気をもらえるような力を感じさせているのではないでしょうか。

※ちなみにこの後私のおすすめ10選には、ミレー自身が嫌ったロココ調のものや裸体画も入っていることを、天国のミレーに謝っておこうと思います、ごめんなさい。

おすすめ10選

『種蒔く人』

『母親の心遣い』

『落穂拾い』

『晩鐘』

『春』

『羊飼いの少女』

『横たわる裸婦』・・・裸体画です

『ポーリーヌ・オノ』・・・最初の奥さんの肖像画です

『期から降ろされるオイディプス』

『鏡の前のアントワネット・エベール』ロココチックです