【モネ】を褒める

2022年6月15日

《印象派の名前の由来にもなった光の挑戦者》

印象派の画家と言われてまず思い起こすのはマネ、モネ、ルノワールの三人ではないでしょうか。あまり絵画に興味がない方にとっても馴染みのある名前であると同時に、彼らの作品を知らず知らずのうちに目にしていることでしょう。

その中でも今日褒めたいのはモネ。三人の中でも最もひたむきに創作活動に意欲を注いでいたと言われます。早くから従来の写実的絵画に疑問を持っていたモネは、森や湖畔といった自然を独特の感性でとらえ、世の中の求める画風に真っ向から対立したのでした。結果として貧乏な生活を余儀なくされたモネですが、そんなことで怯む彼ではありません。

1874年にはセザンヌ、ドガ、ルノワールらとともに展覧会を開きます。しかしながら、当時としては革新的すぎたこの催しは、商業的に大失敗となるのです。新聞などで酷評され、格好の批判の的となったのでした。実は今でこそ絵画史に残ることとなった“印象派”という名は、この展覧会にて発表されたモネの「印象、日の出」という作品を「印象派」と皮肉ったことがはじまりでした。そう、モネたちを揶揄する言葉だったのです。その10年後には印象派絵画が市民権を得、さらに10年後にはモネが大成功をおさめるなど、この頃には想像もつかないことでした。

では、モネは何故成功したのでしょうか。いや、そのことは専門家に譲るとして、私はモネの褒めたいところを書くことにします。

マネ、ルノワールがより人物にフォーカスしたのに対してモネは光の反射に焦点を当て続けました。光の魔術師とでも言いましょうか。主に「草原」「森林」「建物」「水面」において、その才能は輝きを放ちます。「草原」を描く作品には降り注ぐ日の光が、草原に在りし全てのものを明るく照らし出し、その眩しさがこちらにまで伝わるようです。「森林」の中を描かせると、木々の間から差し込む光が、散り散りになって森を演出します。「建物」においては時間の移り変わりを、色彩の変化による光の描写で表現してくれます。
しかしなんと言っても「水面」に写し出される光の陰影は比類なき芸術として、今なお高い評価を受けているのです。特に晩年の20年間は『睡蓮』をテーマに250以上の作品を残し、全精力を注いだのです。驚嘆のこだわりがそこに見えます。“青”“緑”“黄”“赤”“橙”と多種多様の色で表現したことはもちろん、水面にうつる光の当たり方など、気が遠くなるほどの推敲を重ねたことが見てとれました。彼の作品を通して“印象派”の名が冠されたのは正解だったと言えるでしょう。

あまり、人物について詳細に描かないモネですが、妻であり多くの作品に登場することになったモデルのカミーユについては別で、一風変わった作風で描かれています。「ラ・ジャポネーズ」はその代表作とも言える作品で、一見するとマネの絵と見間違いそうになるほどです。圧巻は「死の床のカミーユ」、死の淵にあった愛する妻の姿を狂気なまでに描ききったこの作品に、モネの芸術家としての生き様を見るような気がしました。

マネの強いタッチ、ルノワールの柔らかな曲線美は一瞬で人々の目を魅了しますが、モネの光の描写はゆっくりとじわじわと私たちの心を捕らえていくのです。

 

おすすめ10選

『庭の女』

 

『散歩・日傘をさす女』

 

『ひなげし』

 

『カピュシーヌ大通り』

 

『ラ・グルヌイエール』

 

『ラ・ジャポネーズ』

 

『草上の昼食』

 

『舟遊びをする若い娘たち』

 

『ルーアン大聖堂』

 

『死の床のカミーユ』