【ナリタブライアン】を褒める

<圧勝の面白さを教えてくれたシャドーロールの怪物・ナリタブライアン>

馬紹介

平成3年5月3日生 父:ブライアンズタイム 母:パシフィカス

ナリタブライアンには『怪物』という代名詞がよく似合います。その圧倒的な勝ちっぷりが他を寄せ付けず、あまりに凄すぎて『怪物』以外のイメージが出てこない程です。勝つ時には後続を何馬身も引き離すという、いわゆる圧勝の面白さを教えてくれた馬です。同時に古馬になってから力の衰えを隠せず盛者必衰のことわりを教えてくれたのもこの馬だったような気がします。『怪物』が姿を消すときにはその存在の大きさがゆえに、とても寂しさを残すものなのですね。

戦績

21戦12勝 (G1 5勝 朝日杯 皐月賞 日本ダービー 菊花賞 有馬記念)

活躍

戦績については全成績が反映されてしまうので霞んでしまうのですがナリタブライアンの強さは一時期にとても凝縮されています。3歳時には精神的に成熟しておらず成績にむらっけがあり最初の5戦でわずか2勝とぱっとしないものでした。強い馬はG1まで無傷状態というのも少なくありませんからね。そして朝日杯で勝っていこうは無頼の強さを残していくようになるのです。前哨戦から10戦9勝(4歳時は8戦7勝)とレースのみならず圧倒的な戦績を残しました。しかしながら残る引退までのレースは6戦1勝とその強さは鳴りを潜めてしまいました。ナリタブライアンが愛された理由はただただ強かっただけではなく強さと弱さ、脆さが共存していたからではないでしょうか。

デビュー当時はその脆さが顕著に出てしまい試行錯誤を繰り返します。早々と完成された馬体に対して追い付かない精神面。落ち着きのないナリタブライアンを救ったのは後に彼の象徴ともなった白いシャドーロールでした。これをつけることによって精神を落ち着かせ、集中力を高めることでブライアンは快進撃を始めます。そして驚くべきはその勝ち方です。生涯を通してナリタブライアンの勝ちレースにおいてハナ差、クビ差は一度もありません。アタマ差でさえ最後の勝利となった晩年の阪神大賞典・マヤノトップガンとのマッチレースにてたった1度記録されているだけで、その他は全て1馬身以上の差をつけて勝っているのです。これは物凄い事です。半馬身差でさえ無いのですよ。

ピックアップレース

1994年11月6日 菊花賞

皐月賞3馬身半、ダービー5馬身、菊花賞7馬身、三冠を獲得するまでにライバルとの差は広がるばかり。こんなに楽勝で3冠を制した馬はナリタブライアンだけです。もちろん暮れの有馬記念も圧勝、女傑ヒシアマゾンに3馬身をつけて世代を超えて強さを見せつけたのでした。ちなみにナリタブライアンの兄はあのビワハヤヒデ。本来ならこの有馬記念で兄弟対決が実現したかもしれなかったのですが、先の天皇賞・秋でビワハヤヒデが無念の故障引退。ナリタブライアンの菊花賞の前だっただけにファンの間には嫌なムードも漂っていたのでした。そんな中での菊花賞制覇に「弟は、弟は大丈夫だ、兄のレコードも破りました」との名実況が生まれました。

外からナリタブライアン ナリタブライアン

弟は大丈夫だ! 弟は大丈夫だ! 弟は大丈夫だ! 10年ぶり 10年ぶりの3冠馬

ナリタブライアン そして2着はヤシマソブリンで堅そうだ

ナリタブライアンだ ナリタブライアンだ ナリタブライアン3冠馬!

弟は大丈夫だ! 史上5頭目の3冠馬 史上5頭目の3冠馬! 10年ぶり

レコード! レコード! 3分4秒6!

兄貴のレコードを10分の1秒縮めました!

京都競馬場 南井コール!!!

個人的感想

通常レースというものはハラハラするからこそ面白いものです。競馬でもそれは同じでハナ差勝負のレースは手に汗握ります。けれどもナリタブライアンのレースだけは違いました。引き離せば引き離すほど面白い。怪物が怪物たるゆえんを示せば示すほど熱狂してしまう。そんな別次元の興奮をブライアンは教えてくれました。しかし古馬になってから怪我に悩まされたナリタブライアンはかつての強さを失ってしまいました。辛勝さえかなわず勝つことさえできなくなってしまったのです。そんな状態の中、主戦旗手の南井騎手も怪我で戦列を離れ、ナリタブライアンの海外挑戦のプランも白紙化するなど、転がり落ちるように暗転したブライアンの運命。最後は苦し紛れの短距離レース参戦など少しみじめなくらい哀れな姿をファンは見ることになります。それでも最後の勝利となったマヤノトップガンとの阪神大賞典での激闘はナリタブライアン最後の意地でもあり、最後の雄姿となって、今も語り継がれるG2としてサイレンススズカの毎日王冠とともに伝説化しています。