【オグリキャップ】を褒める

<競馬新時代を創った元祖芦毛の怪物・オグリキャップ>

馬紹介

昭和60年3月27日生 父:ダンシングキャップ 母:ホワイトナルビー

武豊ジョッキーとともに競馬人気を決定づけた誰もが知る元祖怪物。けれども、あまりの人気に天邪鬼な私は最初の頃、オグリキャップの活躍をあまり快く思ってなかったんですよね。

戦績

20戦12勝(G1 4勝 有馬記念 マイルチャンピオンシップ 安田記念 有馬記念)

1988年度 年度代表馬 最優秀4歳牡馬

1990年度 年度代表馬 最優秀5歳以上牡馬

活躍

競馬ファンはもちろん、競馬に全く詳しくない方でも知っているオグリキャップ。時代が昭和から平成に移る頃、世の中に競馬ブームをもたらした張本人でもあり、その後も競走馬を語る上で欠かせない存在となっていることも誰も異論はないことでしょう。また地方競馬出身であり、血統もそんなに注目されていない中、突如スターダムにのし上がった彼の活躍に、当時の人達は自分を重ね合わせ、勇気を与えられ熱狂したと言います。中央競馬に活躍の場を移してからも連戦連勝。ニュースは毎度オグリキャップの雄姿を称える記事で溢れかえっていました。なんでしょうね、だからかもしれません。いや、白状すると私はそんな競馬ブームに乗り遅れたのです。気づいたらみんながオグリ、オグリと夢中になっていて、その過剰な人気が鼻についてしまったのです(若いなあ、私・・・)。けれどもオグリキャップは圧倒的な強さばかりが目立ったわけでもありません(当時としては目立ってはいたものの、オグリキャップの戦績を越える馬は多数います)。しかもクラシックレースとは縁がなかった上、天皇賞といった格式高いレースを勝っているわけではありません。G1勝利を見返してみてもマイルCSと安田記念は1600メートルの短距離です。オグリキャップの人気はやはり彼の物語にあると言わざるを得ません。それはあまりにドラマチックで感動を呼ぶものだったのです。

彼の物語の第1章は同じ芦毛の怪物・タマモクロスとの対決です。中央移籍後破竹の6連勝を飾り、秋の天皇賞で当時の最強古馬として君臨していたタマモクロスとの初対決が実現します。春の天皇賞と宝塚記念と連勝しているタマモクロスを押しのけて一番人気に推されたオグリキャップ。誰もがオグリキャップの無敗でのG1制覇を信じて疑いませんでした。しかしながらその夢はこの最強古馬の前に儚く散ることになるのです。続くジャパンカップにおいてもオグリキャップはタマモクロスの後塵を拝し3着。ここへきて初めて中央競馬の大きな壁にぶち当たるのでした。この年で引退が決まっていたタマモクロスを打ち負かすには年末最後の大舞台・有馬記念しかありません。このラストチャンスをオグリキャップはモノにします。これまでタマモクロスの後ろからの競馬で届かなかったことを鑑み、スローペースの中思い切って先行策を取る鞍上の岡部騎手。直線のたたき合いを制したオグリキャップは宿敵を倒し、最強のバトンを受け継ぐというストーリーを見事に完成させたのでした。

こうして王者として古馬になったオグリキャップの物語の第2章が始まります。残念ながら靭帯の炎症をおこして春のレースを棒に振ったオグリキャップでしたが、秋のレースは一転、過酷なまでのローテーションを戦っていきます。重賞2つを軽く制覇し、秋の天皇賞では武豊騎乗のスーパークリークに足元をすくわれるも首差の二着。しかし直後のマイルCSを勝ち、次の週のジャパンカップに挑みます。・・・って、ちょっと待って。これ競馬ファンならありえないローテーションであることに気づきます。もしかすると競馬ゲームをやってらっしゃる方なら、きっとわかるでしょう。だってコンピュータの調教師が難色を示す発言をしたと思いますから。通常であれば1ヶ月おきくらいでレースを使うのですが、天皇賞(10月29日)マイルCS(11月19日)ジャパンカップ(11月26日)。ただでさえ二週連闘はご法度なのに、その前に天皇賞を走っている。格式の高いレースは激しく消耗も激しいものです。調教もきつくなり馬体もボロボロになります。こんな状態で戦えるわけないよね。   戦ったのです、そして信じがたいことに世界レコードをたたき出したのです。このジャパンカップのインパクトは相当のものでしたね。しかしながらレース自体は2着、タイトル獲得はなりませんでしたが、それがかえって物語の第2章となりえたのです。

最後の物語となる第3章は皮肉にもその直後の有馬記念から始まります。疲れ果てたオグリキャップにレースを戦う力は残っていませんでした。5着と初の馬券外に沈みます。その後、春の安田記念は制したものの、成績が下降していきます。宝塚記念2着、秋の天皇賞は6着、そして1年前に衝撃を与えたジャパンカップはなんと11着。もはやオグリキャップの時代は終わった、誰もがそう思いました。そしてなぜかその状況をほくそえんでいた性格の悪い私、なんでそんなにオグリキャップを避けてたんだろうなあ(^_^;) 世間はスーパーホースの凋落に引退をささやき、これ以上醜態をさらさないで欲しいという願いのようなものが漂っていました。

ピックアップレース

1990年12月23日 有馬記念

このまま引退するものと思われていたオグリキャップ、しかしなんと陣営は有馬記念を最後の舞台に選びました。これには批判が飛び交いました。「みっともない」「オグリキャップは終わった」との声が大勢を占める中、レースが始まります。光明は鞍上に武豊を迎えたことくらい、4番人気に推されたのは勝つことを信じたというよりは、ファンとして見届けたいという思いが押し上げたような人気であったように思います。

レースはスローペース、先行馬に有利な展開の中オグリキャップは中段。ここから武豊が馬を落ち着かせその闘志を高めていったことを知っていたのは果たしてどれくらいいたのでしょうね。私ですか?私はオグリキャップ見てませんでしたよw。

うちにすーっとリアルバースデイ、リアルバースデイ、さあ、オグリがいった、武豊がいった、さあ、第4コーナー、うちでオサイチがんばった、そしてアルダン、アルダン、アルダン先頭か、オグリ先頭にたつか、第4コーナーまわって直線、大歓声です、さあオグリ先頭にたつか、先頭にたつか、オグリキャップ先頭にたつか、さあうちでがんばったオサイチがんばった、オグリキャップ、オグリキャップ先頭か、オグリキャップ先頭か、200を切った、オグリキャップ先頭、オグリキャップ先頭、オグリキャップ先頭、そして、そして、ライアンきた、ライアンきた、ライアンきた、しかしオグリ先頭、オグリ先頭、ライアンきた、ライアンきた、オグリ先頭、オグリ1着、オグリ1着、オグリ1着、オグリ1着、右手をあげた武豊、オグリ1着、オグリ1着、見事に引退レースを飾りました、スーパーホースです、オグリキャップです!

個人的感想

この実況、名実況として何度も取り上げられています、文字におこすと「何回オグリって連呼するねん」と突っ込まれそうですが、これ涙が出るんです。オグリキャップのことを好きではなかった私が、この実況を聞いて「オグリ来たの?オグリ来たの?え、どういうこと?オグリ走るの?オグリなの?オグリ?オグリ?オグリ来ちゃって!オグリがんばれ!オグリがんばれ!!オグリがんばれ!!!オグリだ~~~(涙)すごい~~~(涙)」あれ、私なんで泣いてるんだろ、こんなに惹きつけられるレースって他になかなかないんですよね。好きな馬に興奮することはあってもレース中にその馬のファンになるなんて、後にも先にもオグリキャップだけです。乗り遅れた私にその後オグリキャップを応援する機会はありませんでした。けれども今でも私は思います。「間にあった!」ってね。おそらくまだオグリキャップのレースを見ていない人がいるなら、まだ間に合いますよ。今は動画ですぐに見る事ができますからね。