【5月23~31日】の褒め活

5月23日

企業教育で良識を持たせるということをしています。けれども良識を保つのはなかなか難しく日々、様々なことに心を乱されてしまいます。世間を見た時、多くの人たちが苦労しながらも良識を保っていることに驚きます。当たり前のことなのかもしれませんが、褒めるべき世界が現実にあります。

5月24日

世の中に不要なものはそんなにありません。社会悪は不要と言えるかもしれませんが、おせっかいや過保護、誤解、勘違い、それらはそんなに悪ではありません。発露を考えた時に実は優しさからくるものだったりするのです。そんな優しさを見て褒めればよいと思っています。

5月25日

失敗をすると勇気を無くし次へのチャレンジができなくなるものです。ところで私たちは人生において失敗をしたことがないでしょうか。絶対に一度ならず多くの失敗をしてきているはずです。それでもチャレンジを一切しないでしょうか。してきたはずです。褒められていいと思いませんか。

5月26日

人は一人では生きていけないものです。常に誰かの助けを必要とし、支え合って生きていくのです。そんな中で、人は一緒に生きていく人を探します。どのような人と一緒に生きていこうとするでしょうか。自分を認め、褒めてくれる人と一緒に生きていきたいと思います。これは真実です。

5月27日

叱ってもらえるのは幸せなことです。パワハラが問題となっている昨今ですが、やはり叱ることの効果は認めるべきだと思います。ただ昔の人は飴と鞭の使い分けがうまかったと思うのです。雷を落とされた後に褒められた経験を思い出す人は少なくないと思います。

5月28日

人生においてなんらかの爪痕を残したいと思っています。そしてその爪痕はできれば褒められるものでありたいと思います。誰しもそのような本能の叫びが数多くの功績へとつながったわけです。褒められたいと思うのは人間の進化、文化の発展の源でもあるのです。

5月29日

人事をやっていると注意や指導、教育、叱責と褒めることから離れた活動を求められることがあります。規則に則って、厳しい言葉を発している裏で私は心から叫んでいます。「頼むから褒めさせてよ」と。たまには指導教育として叱り飛ばしている人たちの心の叫びを聞いてあげてはくれませんか。

5月30日

「褒める」と「誉める」の違いについて調べた事があります。どちらも同じ意味なのであまり区別する必要はないのですが、「誉める」というのはどちらかというと名誉や功績をたたえるときに使う傾向があるようで、私はもっと気楽にほめて欲しかったので「褒める」を使いました。

5月31日

「褒め活」を通して多くの意見が寄せられます。中には厳しい声や否定的な声もあります。けれども、一方で応援の声、励ましの声、そして「褒め活」そのものへの褒め言葉もいただけました。多くの方の褒め活に支えられていることを実感し、こうして続けられているのも褒め合いのお陰だと感謝しています。