【『明日の記憶』荻原浩】を薦める

読書のススメ(2分で読めるよ)

荻原浩さんの評価が凄く高まる中、私自身にとって荻原浩さんの代表的作品がなんだろうかと探していて、ついに見つけたのがこの作品でした。読み終えてすぐにその年のランキングを制すると確信した作品でもありましたね。数年後に渡辺謙さんと樋口可南子さんを主役として映画化されたのですが、こちらもとても良かったです。小説だけでなく映画も素晴らしいと思います。

最近、介護問題の一つに痴呆症の発症があります。けれども、この作品はそんな年配の方の介護問題にスポットをあてているのではなく、50歳の働き盛りのサラリーマンが突然若年性アルツハイマーと診断されてしまうという話です。営業部長として活躍する主人公は、最初そのことを実感として受け止めることができず、自分は大したことがないと気にもかけません。序盤の語り口調は明るくコミカルでさえあります。それは主人公・佐伯雅行の心のトーンでもあるかのようでした。

けれども次第に病魔は雅行を追い詰めていきます。伝達事項を忘れてしまったり、些細なミスを繰り返したり、昔は当たり前のようにできたことができなくなってきたり、状況は悪くなるばかり。そんな中、家族、特に妻の枝実子の献身的な支えは読むものに感動を与えるものです。作品のこの先の展開はネタバレせずとも、色々と類推できそうな気もしますが、この作品はそういった道筋が主題なのではなく、この事態を家族がどのように受け入れ、どのように進んでいくかなのです。なので、手に取って作品を読まなければ、このあたりの枝実子の行動や、雅行の気持ちは読み取ることができないと思います。前半あれほど明るい語り口調だったのがウソのように、いつのまにか重苦しい何とも言えない文体にいつのまにか変わっていることに読者は気づかされます。それもまた、雅行はじめ家族の持つ心の反映がなされていたのでしょうね。

作品においてクライマックスは言うまでもなく一番最後にやってきます。病気が進行して恐るべき事態が起ころうとしていますが、そのときにまで夫婦の愛がどこまで高められていることか、ぜひ見届けていただきたいと思います。最後の会話は小説も映画も屈指の名シーンだと思います。

レビュー

<読みやすさ>

テーマとは裏腹に荻原さんならではのユーモラスな語り口調が、読者への負荷を軽減しています。とにかく軽快で読みやすい。これは東野圭吾さんの『秘密』にも似た雰囲気のようにも思えました。だからこそ最後が切なく涙を誘うのではないかと思います。とにかく先が気になって一気読みしてしまいます。

<面 白 さ>

作品としてはとてもよくできており、全体を通して読み応えのあるものに仕上がっています。小説の面白さを充分に伝えてくれている作品だと思います。もちろん内容が内容なだけに“面白い”作品を期待されても困るのですが、読む楽しさの一つにこのような“涙を流せる”という要素も入っていると思います。

<上 手 さ>

コミカルな展開でシリアスな着地に落ち着けるのは並大抵の作家さんにできることではありません。抑揚をつける上手さ、それでいてテンポも崩さず、仰々しい仕掛けを用意しているわけでもありません。自然な流れの中に、上手さがきらりと光ります。無理なく自然に泣かせてくれる作品の一つです。

<世 界 観>

ごくごく平凡な日常を切り取り、特別ではない世界を扱っているにもかかわらず、家族のこと、病気のこと、仕事のこと、結果としては人生のことを舞台にしているこの作品の世界はとても大きいと思います。広がる心情は幾重にも重なり、一言ではとても言い表せない心の動きを大きく見事に描いている作品です。

<オススメ度>

泣きたい人には迷わずオススメしています。ただ日常というのは私達にとっては究極のリアルであり、下手なお涙頂戴ものと違って重くのしかかってきます。それゆえ逆に泣けなかったという感想もいただいたりしています。また、泣かずとも人生を考えるいいきっかけにはなると思いますので、どのような形でも一度手に取ってもらいたい作品です。