【ドガ】を褒める

2022年7月26日

《ぎこちなさで日常を演出した“踊り子”描写の専門家》

ドガの本名を知っていますか?「エドガー・ド・ガス」と言うんだそうです、「そこをかい摘まむの!?」と思ってしまった私は劇団四季CATSの大ファンのため老いた俳優猫のガスのことが心によぎります……すみません、いきなり脱線してしまいましたね。

ドガと言えば誰しも“踊り子”の作品を思い出すのではないでしょうか、あるいは“競馬場”の作品でしょうか。いずれにせよ、印象派の代表的な画家の一人として思い起こされる方がほとんどかと思います。しかしながら、彼の師匠は写実主義で有名なアングルであり、彼自信もアングルのことを敬愛していたようです。そのため、印象派のレッテルを貼られるのは本意ではなかったようですのでご注意あれ。

とは言え、ドガは間違いなく印象派の影響を受けており、そのことについてはドガも反論しているわけではなく、不本意ながらも受け入れはしていたようです。というより、あまり世間の風評など意に介さない器の大きい人物だったみたいですね。

それでは、早速ドガのことを褒めていきたいと思います。彼の作品は単純に動きが楽しく、見ているだけで躍動感が伝わってきますし、その点が好きだという方も多いのではないでしょうか。けれども、ドガの魅力は他にも意外なところにあると知りました。

彼の作品を色々と見ていくと、ある不自然なことに気づきます。彼の作品では踊り子や馬の姿など、対象物が画面の端でカットされてしまうことが多々あるのです。ある踊り子は体の半身を、ある観客は腕の一部分を、ある馬は後ろ足を。『オペラ座のオーケストラ』という作品に至っては、なんと踊り子の上半身が大胆にカットされてるのです。ということは足腰しか描かれてない……。親御さんなら絶対に許さないことでしょう(笑) 大体縁起悪いしさ、うちの社長は絶対に許してくれない(^_^;)

しかしこれらは全てドガの計算のうちなのです。あえて一部を切り取ることで、より動きを表現し、その瞬間その瞬間を切り取っているのです。言わばカメラで追えきれないような感じです。そういう意味では、ドガは対象物を描いているというよりは、対象物に流れる時間を描いていると言えるのかもしれません。『ロンシャン競馬場』という作品ではレース前の静寂を切り取っていますし、『ダンスのレッスン』では練習風景こそ日常として、本番にはない時間の流れを切り取っているかのようです。『蝶のコスチュームを着た踊り子たち』では、中心を大きく外し、体の半分が切り取られることで何気なさを演出するという憎たらしいほど練られた演出を実現したのでした。ぎこちなさによる日常の演出とはこのことです。

また前述の『ダンスのレッスン』には面白い試みもなされています。すなわち立体的な遠近法(こんな表現であってるのかな?)です。キャンバスの右下を一番手前として、右上への奥行きと、左下への奥行きを二つ作って遠近感を三次元的に表現しているのです。もしかすると専門的にはよく知られた手法なのかもしれませんが、単純に私は面白いと思いました。

こうして精力的に多くの実験を試み、たくさんの作品を残したドガでしたが、視力の低下により方向転換を余儀なくされてしまいます。けれどもそれに挫けることなく彼の挑戦はパステル画へと舞台を移すことになります。デッサンと色付けが同時に行えることに気づいた彼は豊かな質感と立体感を表現し、さらに多くの作品を残していくのだから凄いですよね。残念ながらその後も視力の低下は止まらず最終的に制作を終えることになったのは、ドガにとっても私たちにとっても残念なことですね。

ちなみに印象派の女流画家としてベルト・モリゾと並んで有名なメアリ・カサットはドガの弟子でもあります。

おすすめ10選

『オペラ座の稽古場』

 

『カフェ・コンセール、レ・ザンバサドゥール』

 

『舞台の上の2人の踊り子』

 

『4人の踊り子たち』

 

『アイロンをかける女たち』

 

『アプサントを飲む人(カフェにて)』

 

『ロンシャン競馬場』

 

『緑の衣装をつけた踊り子』

『ダンスのレッスン』

 

『オペラ座のオーケストラ』