【東郷青児】を褒める

2022年6月14日

《前衛画家から美人画化へと変貌を遂げ挑戦を続けたプレイボーイ》

日本の絵画についてはあまり詳しくないので、あらためて勉強を重ねながら褒めていくことになるんだけれど、最初に褒めたい画家は決まっていました。
“東郷青児”その人です。洋菓子の包装紙を手掛けたことでも有名で、一度見たら忘れられない女性の絵を描く画家さんです。そして、とてもハンサムで色気を漂わせた男でもありました。

私生活は多くの女性とのスキャンダルにまみれ、プレイボーイ街道まっしぐら。若くして家庭を持ったものの、すぐに他の女性と心中事件を起こしたり、失意のもとに現れた女性と重婚してしまったり、会ったばかりの女性と同棲を始めたり、果ては前述の心中事件を起こした女性が既に家庭を持っていたにも関わらず最終的に略奪婚するという、女性の敵のような男なのです。

けれども東郷青児の凄いのは、これら愛した女性たちが作品の中に活かされていることなのです。専属のモデルさんが作品の多くに登場するのは当たり前なのですが、東郷青児の場合は愛した女性を追求することで作品が進化していったのだから素晴らしいと思えます(あくまで、作品がですよ)。

もともと前衛画家としてスタートした東郷青児でしたが、パリ留学を機に大きな方向転換を図ります。理由の1つとなるのがピカソとの出会いです。この歴史的大天才を前に、東郷青児は挫折を感じずにはおれなかったようです。そりゃそうでしょうよ、ピカソに敵う芸術家なんて歴史的に見て数人しかいないのですからね。さらには理由のもう1つとなったのが、ルーブル美術館におけるラファエロやアングルといった美しい女性を描いた作品を見たことでした。あまりの女性の表現の素晴らしさに息を飲む一方で、明らかに自分の進むべき道ではないと確信したというのです。一説によると、ピカソとの出会い以上に挫折を与えたとも言われています。初期に多く見られたキュビズムや影響を受けたセザンヌの画法は金輪際陰を潜めることになったのです。ちなみに初期の前衛作品もかなり見事なものばかりで、その失望さえなければその先もその道で十分やっていけたのではないでしょうか。

その後の東郷青児の苦悩はあまり表に出てきませんが、女性との遍歴を見ていると、なかなかに苦しんでいたようです。寂しくなるとすぐに女性を求める、それが東郷青児なのです(^_^;)

そして遂に彼は自分の進むべき道を見つけるのです。竹久夢二との出会いです。浮世絵の世界を大正時代に合うかたちで昇華させたその画風は東郷青児の考え方に大きな影響を与えたようです。物真似をするのではなく、技巧を誇るのではなく、新たな画法で周囲を驚かせるのではなく、その個性と感性にしたがって絵を描き始めた結果として、竹久夢二の大正ロマンに対して昭和ロマンと称されるまでになったのです。そこには過去の浮世絵からの流れに加え、西洋絵画の融合がありました。私が褒めたいところはまさにそこにあると言ってもいいでしょう。東郷青児はパリ留学によって挫折を味わい失望を覚えたものの、決してその探求を諦めることなく希望を見いだし続けたのです。

東郷青児の手法は夢の中の世界を現実に具現化し表現することでした。そのためどの作品にも不思議な空間と魅力が見てとれます。シャガールのシュールレアリズムにも通ずるような、それでいて唯一無二のものなのです。いつしか未来派と呼ばれ、“夢幻化”とはこのことだと印象づけたのです。“甘い砂糖菓子”のような絵と言われ、数々の洋菓子の包み紙にも使用されたことで、一躍時代の寵児になったこともわかります。

けれどもまだ褒めさせてください。いつしか夢の世界ゆえの冷たさや非リアリティに限界を感じた彼は、さらなる進化の場を砂漠に求めたというから驚きです。虚飾のない広大な生活空間で、彼の作品はさらに飛躍を遂げ彼の生涯のライフワークとなるのでした。残念ながら、私はあまりこの砂漠シリーズは好みではなく、美人画の柔らかさに弾かれているのですが、メッセージ性は強く高い人気を誇っています。

おすすめ5選

『望郷』
『レダ』
『花炎』
『窓』
『四重奏』