【ルノワール】を褒める

2022年6月14日

《度重なる模索を続けた前期印象派の巨匠》

今なお多くの人びとに愛されているルノワール。印象派絵画が苦手でも「ルノワールの絵は好きだ」という方は結構多くいらっしゃいます。誰もが彼の描く柔らかなタッチに魅了されるのです。私はルノワールの画風を漢字一言で表すなら“豊”ではないかと思っており、すなわち“豊満”“豊潤”“豊饒”という言葉がぴったりです。彼の描く題材は丸く柔らかい“豊満”なものが多く、何かしら私たちに幸福感を与えてくれます。また花や草木、果実といった静物を描かせても“豊潤”なる大地の恵みを感じ、その色彩や光を楽しませてくれます。さらに人物描写、特に裸婦などはそのたわわで弾けるような肉質を見事なまでに“豊饒”たるものとして書き上げるのです。多くの印象派画家たちの中でもルノワールの描く“丸み”“曲線”はダントツに優れており、他には見られない独特な異彩を放っています。しかしルノワールの生涯はその安定した作風とは違い、模索の連続でした。特に下の絵画一覧からもわかるように1890~1900年に代表的な作品が少なく、ルノワール自身も1880~1900年を“壁の時代”と呼ぶほど苦悩の日々を過ごしていたのでした。そこには当時おかれていた印象派の評価や境遇が大きく左右していたのです。印象派画家たちの手法は今でこそ高い評価を得ているものの、当時は「不気味」「気持ちが悪い」と忌み嫌われ到底理解されるものではありませんでした。ルノワールもご多分に漏れず、1875年に発表された『陽のあたる裸婦』を「緑の肌」と批判されたのです。自然の中で陽の光を浴びた裸婦は森の緑も視野に入ると考えたルノワールの色使いが、肌に緑を使うことによってくだされた悪評でした。こうして前期印象派画家たちは常に貧しく満足に絵を描く環境さえ奪われていったのです。

ここで、ルノワールは当時の展覧会サロン・ド・パリに入選するような絵を描くようになります。今日でも有名な『大水浴図』ですが、この絵は印象派絵画とは一線を画しています。ルーベンス風の作品は多くの注文を受けルノワールの生活には余裕がうまれてきます。そんなルノワールの画風は、印象派画家からある種の“裏切り”としてとらえられてしまうのでした。

結果として、裕福になったルノワールは1900年代に入り、より多くの印象派絵画を完成させていきます。最後まで印象派絵画にこだわったマネやモネが、日々の暮らしに追われ、満足した作品を多く残せずこの世を去ってしまった生き方と対照的でした。どちらの生き方が良いなんて誰にもわかりません。描きたいものを描き続ける信念も立派ですし、描きたいものを描くために信念を曲げることも立派だと思います。

しかしながらルノワールは決して裕福になりたいがためだけにサロン向けの絵を描いたわけではありません。そこにはルーベンス風の重層描法を印象派の中に取り入れられないかという模索があったのです。結果として晩年ルノワールはより新しい形での画風を手にいれ後期印象派へと繋がれていったように思えます。

ちなみに私は、「緑の肌」と忌み嫌われた『陽のあたる裸婦』が好きで、人間の目に入ってくる色彩は実際の色とは違うと思っており、むしろ肌の色に緑を使うことが衝撃的でした。
余談ですが一番好きな絵は『テラスにて』です。

おすすめ10選

『テラスにて』

 

『ラ・グルヌイエール』

 

『桟敷席』

 

『陽のあたる裸婦』

『ムーラン・ド・ラ・ギャレット』

 

『ぶらんこ』

 

『イレーヌ・ダンヴェール嬢』

 

『雨傘』

 

『自画像』

 

『船遊びの昼食』